2016年6月6日月曜日

吉永小百合主演映画「キューポラのある街」に描かれた在日朝鮮人一家は北朝鮮帰国後どうなったのか

「強制収容所に送られ、拷問などによって殺されたか、そこで餓死、凍死した人も少なくない、と在日朝鮮人の関係者は推測している。...親族らが、朝鮮総連に訴えても、総連側は『無関係』という態度を貫いている」(「アエラ」1992年7月21日記事「在日朝鮮人の静かな反乱」より抜粋)。


吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」(昭和37年日活)を私がテレビの再放送で観たのは何年前だったでしょうか。

昭和37年制作ですから白黒映画です。キューポラとは、鉄を溶かす炉のことです。映画の舞台になった埼玉県川口市にはかつて、キューポラのある工場が多かったそうです。

吉永小百合はジュンという健気な女子高生を演じていました。東野英次郎が父親役で、不況のため工場を解雇されてしまいます。ジュンはパチンコ屋でアルバイトをし、家計を助けます。

昭和30年代、東京オリンピックより前の日本ですから、貧しい家庭は少なくなかった。

この映画は、貧しいながらも家族と仲間で助け合い、たくましく生きていく下町の人々の姿を描くことを主題としていました。

解雇に反対する労働組合の活動など、当時の左翼の雰囲気が良く出ていました。同時に、ジュンの親友の在日朝鮮人一家(母親は日本人妻)の生き方も描かれていました。

この一家は、映画の最後で北朝鮮に社会主義の夢を抱いて帰国していきます。記憶がおぼろげですが、一家ではお父さんとジュンの親友の娘(姉)と息子(弟)が先に帰国したように思います。

ジュンの親友が帰国していくとき、駅で金日成将軍の歌を見送る人々が歌っていたように思います。しかし弟は、母親が恋しくて電車を途中で降りて帰ってきます。

映画の最後で、弟は母親と共に北朝鮮に帰国していきます。一家で社会主義朝鮮で頑張れば、きっと幸せになれるというメッセージが込められていました。

北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人は一切の言論・表現の自由を奪われた


実際に帰国した元在日朝鮮人たちはその後どうなったのでしょうか。この件についてはすでに多くの文献があります。24年前のアエラ記事は初期の文献の一つです。

北朝鮮は楽園どころか、言論・表現の自由が全くない全体主義国でした。体制批判を口にして密告されたら、当局により直ちに処罰され山奥等に追放されてしまいます。

昭和34年(1959年)から昭和59年(1984年)まで実施された、在日朝鮮人による北朝鮮への集団的帰還事業(帰国事業)で、約93000人が北朝鮮に帰国しました。そのうち日本国籍所有者は約6000人でした。

相当数の元在日朝鮮人が行方不明になってしまいました。その中には、政治犯収容所に連行され、囚人労働を強いられた人もいました。

何かの拍子で、体制に関する不平不満を口にしてしまった在日朝鮮人は少なくなかったはずです。それが命取りになったことが少なくないようです。

前出のアエラ記事によれば、彫刻家を志していたある元在日朝鮮人はミケランジェロが尊敬できる人物だと仲間に話したことから、政治犯収容所に連行されたようです。

北朝鮮では、金日成、金正日以外に尊敬すべき人間は存在してはいけないのです。最近では金正恩も尊敬すべき人物に入っていますが。「21世紀の偉大な太陽」ですから。

「鳥もねずみも知らないうちにいなくなる」「山へ行った」


「政治犯」を収容所に連行するのは国家安全保衛部です。国家安全保衛部は深夜に「政治犯」の家に押し入り、「政治犯」一家をトラックで収容所に連行します。

「鳥もねずみも知らないうちにいなくなる」という隠語が、帰国した元在日朝鮮人から、彼らのところへ訪問した在日本朝鮮人総連合会関係者に伝えられています。

私は在日本朝鮮人総連合会の元幹部の方からその隠語を伺いました。「山へ行った」という隠語もあります。これは収容所でなく、山間僻地に強制移住させられたことを意味します。

「キューポラのある街」で描かれた貧しい在日朝鮮人一家のような方々は、平壌には住めなかったでしょう。

北朝鮮当局に巨額の寄付をしたか、在日本朝鮮人総連合会の幹部だったらような方なら平壌に住めました。平壌と地方では住民の待遇で大きな差があります。

貧しい元在日朝鮮人はハムギョン道など極寒で配給物資が少なく、生活条件が厳しい地域に配置された場合が多い。日本の親族が巨額の寄付をすれば平壌に移住できたでしょう。

どういうわけか、慈江道に配置された元在日朝鮮人は殆どいないようです。軍需工場がこの地域に多くあるからでしょうか。

日本にいた時の方がどれだけ豊かだったかと殆どの在日朝鮮人は後悔しました。帰国した元在日朝鮮人の一人で、平壌放送のアナウンサーだったある方は銃殺されてしまったようです。

「ようです」と書かざるを得ないのは、この情報は日本の親族(妹さん)が北朝鮮を訪問して当局から何とか得ただけでのものですから、確固たる証拠や証人はない。

北朝鮮では政治犯に裁判らしきものはありませんから、銃殺刑に処されても判決文が親族に渡されることはありません。

日本の親族としては、どうやら銃殺されたらしいという程度の情報しか得られないのです。

山間僻地への強制移住も、裁判所での審理を経て判決が出されてそうなったわけではない。単に当局により「配置転換」とされただけです。以降、日本の親族は一切連絡が取れなくなります。

「政治犯」が公開処刑される場合、親族が処刑場面を見ることを強制される場合もあります。

スパイ容疑や反革命容疑とやらで住民を銃殺ないしは政治犯にし囚人労働をさせるのが「地上の楽園」「千里馬のいきおいで社会主義を建設する共和国」だったのです。


日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝を信じて在日朝鮮人は海を渡った


日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝により北朝鮮を「千里馬のいきおいで社会主義を建設している共和国」「地上の楽園」などと信じている人は当時、少なくなかったのです。

故寺尾五郎氏の「38度線の北」(昭和34年新日本出版社刊)は、この時期に北朝鮮を礼賛した代表的な文献です。この本は在日朝鮮人の間でベストセラーになりました。

帰国事業の頃日本共産党と在日本朝鮮人総連合会は親密な関係を維持していました。昭和30年まで、在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員だったのですから。

昭和37年には「金日成選集」を日本共産党中央委員会出版部が発行し、新日本出版社が発売していたのです。

宮本顕治氏ら当時の日本共産党中央は、金日成の革命理論と実践から大いに学ぶべきものがあると判断したから、「金日成選集」を党員と国民に普及しようとしたのです。

当時、日本共産党が発行した「金日成選集」から「革命理論」を学んでいた在日朝鮮人はいくらでもいたでしょう。

不破哲三氏や聴濤弘氏の年代の日本共産党員なら、在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にしている友人のいる方はいくらでもいたはずです。

日本共産党は朝鮮労働党との共同声明で北朝鮮を礼賛した


宮本顕治(当時は日本共産党書記長)は昭和34年2月26日、27日に北朝鮮を訪問し、朝鮮労働党と共同コミュニケを作成し発表しました。

共同コミュニケで日本共産党代表団は、在日朝鮮人の帰国後の生活安定と子女の教育を保障すべき一切の準備がととのっていると断言しました。

宮本顕治氏はその後昭和36年、昭和41年にも訪朝していますが、しつこく北朝鮮を礼賛しています。

昭和41年3月21日の朝鮮労働党との共同声明によれば、北朝鮮は発展した社会主義的な工業・農業国に変わったそうです。

このあたりの事情は、吉良よし子議員や池内さおり議員は一切御存知ないことでしょう。聴濤弘氏(1935年生まれで日本共産党元参議院議員)は当時の事情をよく御存知のはずです。

聴濤弘氏は近年の著作で北朝鮮の凄惨な人権抑圧や、日本共産党が朝鮮労働党との共同声明で北朝鮮を礼賛した史実について完全に沈黙しています。

北朝鮮の凄惨な人権抑圧や、日本共産党が北朝鮮を礼賛した歴史を、聴濤弘氏が知らないはずがない。

北朝鮮の人権抑圧を批判すると、兵本達吉氏(元日本共産党国会議員秘書)や萩原遼氏(元「赤旗」記者)のように日本共産党から叩き出されてしまうかもしれないから、黙っていようという判断なのでしょう。

共産主義者とは、自らの保身を最重視する人間なのです。在日本朝鮮人総連合会の皆さんも同様の視点から、金日成、金正日そして金正恩に隷属してきました。

宮本顕治氏は朝鮮労働党に、行方不明になった元在日朝鮮人の安否照会を行ったのでは?


これは私の推測です。文献上の証拠はありませんが、1960年代まで在日朝鮮人と日本共産党が親密な関係を有していたことを考慮すると、私にはそうとしか思えないのです。

1960年代後半には、すでに相当数の元在日朝鮮人が行方不明になっていました。日本の親族はなぜ連絡が取れないのか、心配で心配でどうしようもなかったはずです。

親兄弟が行方不明になったら、誰でもそうなります。

日本の親族は在日本朝鮮人総連合会にまずは本国に安否を尋ねてくれるよう、要請したでしょうが在日本朝鮮人総連合会がそんな面倒なことをやるはずもない。

それならば、北朝鮮に何度も訪問し、平壌に「赤旗」特派員を常駐させている日本共産党に親族の安否照会を依頼するしかないと判断した在日朝鮮人はいくらでもいたはずです。

宮本顕治氏ら当時の日本共産党中央がこれを断る理由はない。

昭和43年8月から9月の朝鮮労働党との会談で、宮本顕治氏は行方不明になった元在日朝鮮人らの安否照会を朝鮮側に行ったとしか私には思えないのです。

金日成がそんな要求に応えるはずがない。昭和43年8月、9月の両党会談に参加した不破哲三氏なら、事実をよく知っているはずです。

故上田耕一郎氏は、「北朝鮮 覇権主義への反撃」で北朝鮮の人権抑圧を少しだけ取り上げています。前の会談に参加した朝鮮労働党大幹部が消息不明になっていたという話をしています。

北朝鮮の人権抑圧には「見ざる・言わざる・聞かざる」の日本共産党


いずれにせよ、北朝鮮の人権抑圧と日本共産党による北朝鮮礼賛の歴史は吉良よし子議員ら若い日本共産党員が知ってはならない事実と史実です。

北朝鮮の人権抑圧については、「見ざる、言わざ、聞かざる」を貫けという趣旨の指令が不破哲三氏により何らかの経路で日本共産党大幹部、元幹部に出されている可能性を指摘しておきます。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)や寺前巌氏(日本共産党元衆議院議員)、橋本敦氏(日本共産党元参議院議員)らは不破哲三氏の意向を知っているでしょうから、今後も北朝鮮の人権抑圧に沈黙し続けるでしょう。

共産主義者は、最高指導者に隷属するのです。






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