雍正帝の即位は西紀1722年、ロシアのピーター大帝に少しく遅れ、プロシアのフレデリック大王に少しく先んじ、わが国では徳川八代将軍吉宗の中期に相当する(同書p9-10より)。
故宮崎市定京大教授(1901-95)は、東洋史の知る人ぞ知る大家です。
独裁制を論ずるためには、その代表的な実例を一つ一つ取上げて真相を究明してゆくのが我々に与えられた課題であろう、と宮崎教授はこの本のはしがきで語っています。
僭越ながら、私は独裁制の理論化を課題としています。大家には及びもつきませんが、日々の努力を怠らないようにせねばなりませんね。
宮崎教授が描き出した雍正帝は、夜は十時、十二時に寝て朝は四時以前に起床し政務に没頭する努力家です。中国を完全に統治するためには、自身が中国流の独裁者にならねばならない。
独裁者は細心な努力家でないと務まらない。官僚の動きを把握せねばならないからです。宮崎教授はそれをいくつもの例をあげて説明しています。
はしがきの最後で宮崎教授は、歴史学の任務は過去の世界から意想外の事実を取出して紹介することにより、今まで何となしに形作られてきた歴史のイメージを訂正させることであると述べています。
この本は1950年に岩波新書として執筆されたそうですから、学術論文というより教養書です。雍正帝は数千年の伝統を有する中国の独裁政治の完成者であると宮崎教授は評価しています。
君主独裁制の下では皇太子も単なる一個の臣下に過ぎない
雍正帝は先代康熙帝の四番目の息子です。雍正帝の即位を、先代の康熙帝とその皇子たちとの葛藤から宮崎教授は語ります。
皇太子は皇帝候補者でしかないのですから、政治には関与できない。康熙帝は政治ボス化した皇太子を廃嫡し、臨終のときに四男を次の皇帝に指名しました。
宮崎教授によれば、読者がこの書によりいかにも中国に起こりそうなことばかり書いてあるという感じたのならそれは著者の意図ではないそうです。
しかし、中国に起こりそうなこと、すなわち中国史で繰り返されてきたことをこの書で確認し、現代中国に対する理解を深めていくという読み方もあるのではないでしょうか。
これは雍正帝の統治手法により独裁制を語るという宮崎教授の狙いに反してしまい、いささか恐縮です。
本書p91-92で宮崎教授は中国の官吏について次のように説明しています。
官僚と緊密に結びつく企業が独占利潤を得る
官吏の地位は財産家であって始めて得られるが、財産はまた官吏たる地位によって得られる。何となれば官吏と結託するのでなければ、如何なる企業も成立しないからである。
商業も工業も鉱業も、官吏との連繋のために、多額の資金が消費される。そして官権との緊密な連繋によって成立する企業、たとえば塩業のような独占事業ほど利潤が多い。
これでは正当な産業を起こすための資本が蓄積されるはずがない。利潤は大部分、政治ボスの懐に入って、無益な消費を促進するだけである。
そこで企業家は政治ボスに対する献金を埋め合わせるために、国家に対する納税を怠るか、或いは下に向かって労働を搾取するか、二つに一つの方法を選ばざるを得なくなる。
資本家が脱税御免ということになれば、国家財政は破綻せざるを得ないし、労働の搾取が極端までゆけば再生産が不可能に陥る。
王朝の末期にはたいていの場合、この二つの現象が並行して現れる。
宮崎教授のこの観察は、中国は官僚資本主義という命題にまとめられるでしょう。
雍正帝は官僚と資本の結合を断ち切ろうとした
p178で宮崎教授は、雍正帝は官僚と資本家の結合を断ち切ろうとしたと語っています。独裁制を維持するためには、皇帝に仕えて徴税や政務を実行する官僚が必要不可欠です。
しかし官僚が賄賂から巨額の蓄財をすれば、王朝への反感が強まり農民の反乱が生じかねない。
官僚は政権をもって資本を擁護し、資本はその利益の一部をさいて官僚の後ろ盾となっていました。18世紀の雍正帝の時代にも政官癒着による市場経済化という現象はあったのでしょう。
今日の中国では、中国共産党幹部が中央政府、地方政府で権限を用いて親族企業のために便宜をはかり巨額の資産を蓄積しています。これは中国史の特徴なのです。
大規模な農民反乱が直ちに起きるとは思えませんが、少し変わった宗教結社が徐々に支持を集め、王朝や政権に反抗していくのも中国史の特徴です。
「毛沢東思想」を信じる集団だった中国共産党は、そういう宗教結社の流れから理解すべきです。
J.F. Stiglitzの米国社会論と宮崎教授の中国官僚資本主義論
奇妙ですが、宮崎教授の中国官僚資本主義論は、米国経済学者Joseph. E. Stiglitzの米国社会論と共通する点が少なくないと感じました。
Stiglitzは「世界の99%を貧困にする経済」(The Price of Inequality、徳間書店刊。p76)で次のように語っています。
政治家と結びついた人間が所得の再分配の範囲を限定し、「ゲームのルール」を自分たちに都合よく作り上げ、公共部門から大きな「贈り物」をむしり取っている。
経済学者はこのような活動を、レントシーキングとよぶ。上層の人々は、残りの人々にほとんど気づかれることなく、残りの人々から金を吸い上げる方法を学んできた。
大統領を選挙で決める米国は独裁制ではありません。しかし、金儲けにいそしむ人間の姿は、いつの時代でも、どこでも同じなのでしょう。
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