2016年11月4日金曜日

アンドレ・ジイド「ソヴェト旅行記修正」(昭和27年新潮文庫)より思う

「立身出世の早道は密告である。密告をすると警察とよきつながりができるし、その庇護をうけることになる。但し警察から利用されることにもなるが。

一度、これをやりはじめたが最後、もはや名誉や友情に拘ることなく、ただ密告一筋道あるのみとなる。(途中略)不穏な言葉を耳にしながら、早速申し出なかった者は投獄または流刑に処せられる。したがって、密偵行為は一つの市民的な美徳とすらなっているわけである。」(同書p30-31から抜粋)


スターリンの時代のソ連社会の特徴の一つは、市民間の密告です。知人が不満を言ったら警察に密告しないと、自分が投獄、流刑されるかもしれない社会でした。

今の北朝鮮と同じです。こんな社会で生きていくことはどんなに困難だったでしょう。

1956年のフルシチョフによるスターリン批判より約20年も前に、ソビエト社会の実情を暴いたジイドの慧眼に感服させられます。

「ソヴェト旅行記修正」の解説(小松清氏)によればジイドのこの評論は、前著「ソヴェト旅行記」が出てから半年あまり後の1937年6月(昭和12年6月)に発表されました。

「ソヴェト旅行記」は、ロマン・ローランにより厳しく批判されました。ジイドはこれらに答えるため再度ソ連批判をしました。上記はその一部です。

スターリンとソ連共産党による独裁体制、今日の不破哲三氏によれば「人間抑圧型社会」が形成されていることをジイドはいち早く看破したのです。

不破哲三氏がソ連を「人間抑圧型社会」と規定したのはソ連崩壊後です。

ソ連について、日本共産党員がジイドと同様の認識に至るまでおよそ53年の歳月が必要だったのです。

宮本百合子のジイド批判―「こわれた鏡」は「人間抑圧社会」礼賛


ジイドの反論文は、「中央公論」昭和12年10月号に「ローランその他への反撃」という題名で翻訳されて掲載されたようです。

宮本百合子は「こわれた鏡―ジイド知性の喜劇―」(「帝国大学新聞」昭和12年10月11日号)と題してジイドを批判する評論を書いています。

宮本百合子は、ジイドが引用している統計をソ連当局が公開し発表していること自体が、ジイドによって描かれているとは異なった現実があることを読者に感じさせると主張しています。

宮本百合子は、ジイドは歴史の本質を把握しておらず猛烈な自己分解を行っていると論じています。

今日の不破哲三氏から見れば、宮本百合子は「人間抑圧型社会」の形成が「歴史の法則的発展」であると断言したことになります。

宮本百合子の「歌声よ、起これ」という新日本文学会の由来の呼びかけは、日本をソ連のような人間抑圧社会に変えていくための「歌声」だったのです。

「私たち一人一人が、社会と自分との歴史のより事理にかなった発展のために献身し、世界歴史の必然な動きをごまかすことなく映し返して生きてゆくその歌声」と宮本百合子は新日本文学を規程しています。

「歴史のより事理にかなった発展」「世界歴史の必然的な動き」とやらの先頭に立っているのは、スターリンとソ連共産党が指導するソ連邦である、と宮本百合子は考えていたに相違ありません。

宮本百合子ら当時の日本共産党員はスターリンとソ連共産党を深く信頼し、敬愛していました。

夫君の宮本顕治氏はマルクス・レーニン・スターリン主義とやらへの盲信を「前衛」掲載論文で表明しています。

百合子のソ連社会生活体験が、宮本顕治氏の盲信を深めさせてしまったことは想像に難くない。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、「金日成将軍の歌」「金正日将軍の歌」を歌っていらっしゃるでしょうが、宮本百合子が起こそうとした「歌声」はこれと大差ありません。

スターリンの時代のプラウダ、イズベスチヤにはソ連の問題点を暴く記事があった―ブハーリンの意志か?


ジイドの「ソヴェェト旅行記修正」にはプラウダやイズベスチヤに掲載されている統計やソ連の問題点を暴く記事を根拠にしてソ連の問題点を述べている部分は確かにあります。

これには私も少し驚きました。1936年なら、イズベスチヤの編集長はブハーリンです。ブハーリンは1937年の早い時期に逮捕されてしまいます。

当時のソ連の新聞には、現在の北朝鮮の「労働新聞」「民主朝鮮」と異なり、自国の問題点を多少は暴く記事があったのですね。ブハーリンの意志が反映されていたのかもしれません。

「多少」としか言えないのは、「富農」「人民の敵」とレッテルを貼られた人々が政治犯収容所やシベリアで強制労働をされている事実や、彼らによるソ連共産党批判が当時のソ連の新聞に掲載されていたとは考えにくいからです。

1932年から33年のウクライナでの大飢饉についても、当時のソ連の新聞に記事が掲載されていたのでしょうか。ジイドですらこれを知らなかった可能性が高い。

肝心なところは書かないで、枝葉末節部分を掲載するしかなかったのでしょう。キーロフ暗殺後のソ連社会で、スターリンの権威を根本的に脅かすような記事が掲載されるとは考えにくい。

ソ連における搾取―資本家はいないが特権層が存在する


ジイドは、ソ連には資本家はいないが高額の報酬を受け取り、権力をふるう官僚、特権層が存在していると指摘しています。

高級官僚、特権層はスターリンと運命共同体ですから、現行制度の忠実な支持者です。彼らの高収入の源泉は、労働者の低賃金による剰余です。

そんな連中より、市場経済で倒産の危険を引き受けて企業経営をする資本家のほうがどれだけましかわからない。

普通の資本家や企業経営者には政治家の御機嫌を取らねばならない誘因はありません。

私見では、ソ連や中国の共産党員は資本家というより、地代を得ている地主に近い。彼らは土地を所有していませんが、国家の権限を利用して高収入を得ています。

権限を利用した収入(賄賂)や地代を英語ではRentと言います。

寡占市場にも、Rentは生じます。国家の権限利用という「サービス」を供給する官僚は「独占企業」ともいえる。独占市場、寡占市場では資源が非効率的に配分されてしまいます。

マルクス主義経済学の理屈はどうあれ、ソ連社会で一般の労働者は低賃金で黙々と働くしかなかった。所属企業の運営方針に正直に意見を述べることは殆どできなかった。

国営企業の運営方針に不満を述べれば、監獄行きか流刑になってしまいかねません。労働者がそんな状態なら、通常の日本語では搾取されているというべきです。

ジイドによれば個人の内部的な改革を伴わずして社会状態の変化はない。ソ連で新しく形成されつつあるブルジョアジーは、西欧のブルジョアジーと大差ない。

彼らは共産党員かもしれないが、心の中のどこに共産主義があるのか。一向に見当たらないとジイドは述べています(同署p61)。

ジイドはなぜソ連の本質を見抜けたのか―ソ連から戻ってきたルドルフ氏の叫び「スターリンの犠牲者を救い出すため、どうか力になって下さい!」


ジイドはなぜ、ソ連が全体主義社会になっていることを看破できたのでしょうか。

本人の慧眼もさることながら、ソ連から仏に逃げてきた人々がもたらした情報をジイドが得ていたことも重要な要因でしょう。

「ソヴェト旅行記修正」の末尾に、当時の読者がジイドにあてた手紙が掲載されています。p131-134に、A・ルドルフという方のジイドへの手紙があります。

ルドルフ氏はかつて共産党員であり、ソヴェト政府の役人として三年以上新聞関係の仕事をしました。1934年12月のキーロフ暗殺事件の後、ルドルフ氏は仏に戻りました。

ルドルフ氏は実体験からソ連社会の恐ろしさを知り、「ソヴェト・ロシアよりの決別」という著書を出したそうです。

ルドルフ氏はジイドへの手紙で、ジノヴィエフ・カーメネフ裁判、白海やシベリア、トルキスタンにいる数千の「反革命家」の問題に関心を訴えています。

スターリンの犠牲者を救い出すため、どうか力になって下さい!とルドルフ氏は書いています(同署p134)。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)、吉良よし子議員は宮本百合子による「人間抑圧社会」礼賛をどう受けとめているのか


「ソヴェト旅行記修正」が新潮社から出版されたのは昭和27年でした。

ジイドのソ連批判を、当時の宮本顕治氏や蔵原惟人氏は一蹴してしまったのでしょう。

宮本顕治氏、蔵原惟人氏ともに狂信的なソ連礼賛論文を「前衛」に掲載していたことを、本ブログで何度か指摘してきました。

昭和27年頃若き活動家だったであろう不破哲三氏や畑田重夫氏も、ジイドのソ連批判には一切耳を傾けなかったのでしょう。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員や、「民主主義文学運動」に参加している方々は、宮本百合子が「人間抑圧社会」を礼賛してしまった史実をどう受けとめているのでしょうか。

ソ連問題の「専門家」聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)なら、宮本百合子によるジイド批判を御存知のはずです。

ジイドの見解は「こわれた鏡」である、という宮本百合子のソ連論は適切だったと聴濤弘氏は本気で考えているのでしょうか。

共産主義者は「反党・反革命分子」「反党宗派分子」の処刑を支持する


宮本百合子の観察眼は、少なくともソ連社会に関する限り完全に曇っていたのです。色眼鏡で見てしまうと全てがバラ色に見えてしまう。

この件に深入りすると不破哲三氏から批判されて厄介なことになるから黙っていよう、と民主主義文学運動の参加者は判断しているのでしょうか。

そうであるなら、文学者というより海千山千の狡猾な政治家ですね。「民主主義文学者」として生きていくためには、共産党の最高指導者の顔色を常に窺わねばならない。

今日の在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、脱北者の声に一切耳を傾けません。在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、「反党反革命宗派分子」張成澤の処刑を大喜びしているのでしょう。

宮本百合子や宮本顕治氏も、「人民の敵」ブハーリンの処刑を当然視していたのでしょう。宮本夫妻が「モスクワ裁判」への疑問を表明したなどという話は聞いたことがありません。

共産主義者とは、「反党・反革命分子」「宗派分子」の処刑を支持する「こわれた鏡」を持っている方々なのです。







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