「五ヵ年計画がソヴェト同盟に実行されてはじめて、教会と坊主は、プロレタリアートと農民の社会主義建設の実践からすっかりボイコットされてしまった。農村で、青年・貧農・中農たちが現実に有利な集団農場を組織しようとする。
農村ブルジョアの富農は反対で、窓ガラス越しに鉄砲をブチ込み積極的な青年を殺したりした。坊主をおふせで食わせ飲ますのは富農だ。坊主と富農は互に十字架につらまって、農村の集団化の邪魔をする。
坊主を追っぱらえ!レーニンの云った通り、社会主義建設の実際からソヴェト同盟の反宗教運動は完成された。一九二九年、坊主はXマスであった日にパン屋の入口に職業服のまま立って乞食していた。」(同書より)
宮本百合子は1927年12月15日から3年弱、ソ連に滞在しました。この短い紀行文は帰国してから書かれたものです。
熱烈なソ連信者だった宮本百合子は、ソ連が搾取者だった富農を排除して着実に社会主義を建設し、労働者と農民の国になっていくことを示したかったのでしょう。
共産主義理論によれば、ロシア正教会は基督教という非科学的な世界観で労働者と農民を奴隷的地位に縛り付ける役割を果たしています。
宮本百合子が買った本「聖書についての愉快な物語」
宮本百合子は、ロシア語はあまり読めなかったそうですが、モスクワの国立出版所で「聖書についての愉快な物語」という本を買いました。この本には次のように記されていました。
「諸君。一冊の本がある。それを教会で坊主が読むときには、みんな跪いて傾聴する。開けたり閉めたりするときは、一々接吻する。その本の名は聖書だ。
ところで、聖書には、神の行った実に数々の奇蹟が書かれている。神は全智全能だと書かれている。
けれども、妙なことが一つある。それは、その厚い聖書を書いたのは神自身ではない。みんな神の弟子たちだということだ。ヨブだのマタイだのと署名して弟子が書いている。
全智全能だと云いながら、して見ると神というものは本はおろか、自分の名さえかけなかった明きめくらだったんだ。」
1927年当時のソ連では、実に品のない基督教批判がなされていたのです。私は基督教徒ではありませんが、これは酷い。
神が自分で本を書くわけがない。ばかばかしいことこの上ない。
宮本百合子はロシア正教会の聖職者を「坊主」と訳していますが、悪意のこもった訳です。
「坊主」とは仏教の僧侶を、見下して使う俗語ですから。普通は「お坊さん」と言います。
そもそもロシア正教会の聖職者は仏教徒ではない。宮本百合子は仏教も「封建社会の遺物」などと把握していたのでしょう。
富農と聖職者の追放、粛清はレーニンの遺訓
当時のソ連共産党は、レーニンの遺訓に依拠し、教会の聖職者は富農の手先だから粛清せよ!という方針を保持していました。
宮本百合子はそれを「坊主を村から追っぱらえ!レーニンの云った通り、社会主義建設の実際から、ソヴェト同盟の反宗教運動は完成した」と表現しました。
レーニンは繰り返し、富農の粛清を強調しています。
いささか奇妙ですが、私は宮本百合子は社会の動きに関する感覚の鋭い人だったと思いました。
宮本百合子が滞在していた時期に、ソ連社会は「人間抑圧型社会」(不破哲三氏の表現)に変貌していきます。
全体主義がソ連で確立されていく時期だったのです。
工業化を急速に達成するためには、「五ヵ年計画」と農業集団化で農村の余剰を工業化に強制配分せねばならない。
そのためには農民から移動の自由、職業選択の自由を奪い、共産党の指令に服従するよう、思想改造をせねばなりません。労働者もソ連共産党の指令に従い、黙々と働くようにせねばならない。
宮本百合子はソ連共産党の反宗教運動を「社会進歩」と認識していた
労働者、農民がスターリンとソ連共産党よりロシア正教会の聖職者を偉いと考えているようでは、共産党の指令に従わなくなってしまいます。
ロシア正教会のおしえは、ロシア人の心に深くしみ込んでいました。ロシア正教会の聖職者に対する尊敬感は社会主義建設の障害でしかない。
ソ連共産党はこれを上記のような本で除去しようとしたのです。クリスマスも徐々に廃止させようとしました。
宮本百合子によれば、1928年のクリスマスの日には樅の木売りがモスクワの目抜きの広場から姿を消していました。
モスクワの労働者クラブで、夜明け頃まで反宗教の茶番や音楽、ダンスがあったそうです。
富農とロシア正教会の聖職者を追放し、建設現場や政治犯収容所で奴隷のごとき囚人労働をさせることは、工業化の財源確保のためでもありました。
宮本百合子が上記のような背景を承知していたとは考えにくいですが、富農と聖職者の追放が社会を大きく変える重大事であることを宮本百合子は感知していました。
富農と聖職者の追放、下品な反宗教運動を宮本百合子は大真面目に「社会進歩」などと把握していたのです。
Christmasに乞食をしていた聖職者はその後どうなったのか
ところで、宮本百合子が目撃した、1929年のクリスマスの日にパン屋の入り口で乞食をしていた聖職者はその後、どうなったのでしょうか。
この方が所属していたであろう教会は反宗教運動により破壊されてしまったのでしょうか。
ロシア正教会聖職者の多くは、凍えるモスクワの冬を越えられず、餓死していったのかもしれません。
宮本百合子が本質的に残虐な性格の持ち主だったとまでは思えませんが、この一文には「搾取を擁護してきた坊主は死ね!」というメッセージが込められている。
「階級的憎悪心」というものでしょう。乞食をしていた聖職者は失業していたと言えるはずですが、憎しみでいっぱいになってしまっているこの方にそんな発想の転換ができるはずがない。
ソ連にも、失業者がいたということです。「人民の敵」として囚人労働をさせられなかったが、その類とみなされて国有企業で職を得られなかった人はいたはずです。
十年ほど後には、スターリンが国民を戦争に徹底動員するため、ロシア正教会を利用します。そのときまで、ロシア正教会の聖職者たちはどうやって暮らしていたのでしょうか。気になりますね。
吉良よし子議員は宮本百合子のソ連礼賛文を読んでいるのか
吉良よし子議員や「民主主義文学運動」に参加されている皆さんは、宮本百合子の数々のソ連礼賛文をどう評価しているのでしょうか。
吉良よし子議員は読書好きだそうです。宮本百合子の「モスクワの姿」は、青空文庫でも読めます。是非読んで、感想をホームページなどに書いて頂きたいものです。
私には吉良よし子議員が教会の牧師や神父、仏教の僧侶を憎んでいるとは到底考えられないのです。宮本百合子のような発想で宗教者を見ているのなら、「市民との共闘」などありえません。
聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)なら、宮本百合子のソ連礼賛文を御存知でしょう。その話をするといろいろ厄介なことになるから黙っているのでしょうね。
宮本百合子の「歌声よおこれ」の「歌」とは、在日本朝鮮人総連合会の皆さんが歌う「金日成将軍の歌」「金正日将軍の歌」と大差ない。
「モスクワの姿ーあちらのクリスマス」を読んで改めてそう感じました。
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