「『日本海を平和の海に』『帰国船を日朝間の平和の懸け橋に』といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的なできごとでした。
これは六十万在日朝鮮人をその祖国の周囲にいっそうかたく結集したばかりでなく、日本人一般の朝鮮観、朝鮮人観を大きくかえ、日朝友好の空気を全国にみなぎらせました。
内外の反動勢力はこれを恐れてその後何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度、日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきました。
これによって帰国事業は1967年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計八万八千人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました」(同書p191より抜粋)
畑田重夫氏と川越敬三氏の著作「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)は、当時の日本の左翼人士が北朝鮮、そして韓国をどのように把握していたかをよく物語る本です。
この本の帰国事業をめぐる記述をもう少し紹介しておきましょう(同書p191より)。
畑田・川越両氏によれば、帰国事業は重大な危機にさらされています。佐藤内閣と自民党が「日韓条約」発効以後、帰国事業を打ち切る策動をあらためて開始したからです。
佐藤内閣と自民党は、帰国協定の延長を一方的に拒否し、1967年8月の日朝赤十字のモスクワ会談と同年11月から6月の日朝赤十字のモスクワ会談と同年11月から翌68年1月へかけてのコロンボでの日朝赤十字会談をいずれも決裂させてしまったそうです。
畑田・川越両氏によれば、在日朝鮮人の帰国希望者は、日本の関係機関への登録をおえた人びとだけでもなお一万七千人以上残っています。
帰国事業の破壊に反対し、その円滑な継続を保障させる運動はひきつづき日朝友好運動の重要な課題の一つとなっていると、両氏は力説しています(同書p191)。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は畑田重夫氏の著作「朝鮮問題と日本」を御存知なのか
この本が公刊されてから50年近い歳月が流れました。
畑田重夫氏は新聞の切り抜きを、生きた現代史の資料であると述べています(「働くものの学習法」昭和45年東邦出版社刊行、p161)。
北朝鮮は日本人や韓国人の拉致、日本漁船銃撃と船員殺害、大韓航空機爆破など数々のテロを長年断行してきました。
北朝鮮は政治犯収容所で、「政治犯」とその家族に過酷な囚人労働を強制していることも、いくつもの全国紙やテレビで何度も報道されています。
新聞の切り抜きを熱心にやっている畑田重夫氏は、これらのニュースに接した際、「日本海を平和の海に」などという奇怪な宣伝文句で北朝鮮に帰国した人々はその後どうなったのか、一切思考しなかったのでしょうか。
畑田重夫氏は今でも、もっと多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰国するべく尽力することが、日朝友好運動の重要な課題の一つと主張しているのでしょうか。
そんな主張は、「ヘイトスピーチ」そのものとみなされても仕方がない。
在日朝鮮人が北朝鮮に帰国すると、何がどうなって日本海が平和の海になるのでしょうか。帰国船で在日朝鮮人が運ぶ財貨を、北朝鮮の核軍拡に利用できるからでしょうか。
在日朝鮮人を「南朝鮮革命」のための工作員にするために、帰国船を利用できるからでしょうか。
北朝鮮への帰国船は、現代の「奴隷運搬船」だったとしか私には思えないのです。テロ国家北朝鮮の策動に協力した「民主運動」とは、いったい何だったのでしょうか。
国際政治学者畑田重夫氏はその後、日米安保反対運動や東京都知事選への出馬などで活躍しました。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党国会議員の方は、畑田重夫氏とどこかで面識があるはずです。
日本共産党が主導した「平和運動」「民主運動」の真実を、新日本出版社刊行物を読んで考えるべきだ
畑田重夫氏の言論活動の軌跡は、日本共産党が主導してきた「平和運動」「民主運動」の歴史の一ページでもあります。
早大文学部卒業の吉良よし子議員は読書好きだそうです。
吉良議員は畑田重夫氏の「朝鮮問題と日本」や、川越敬三氏の「社会主義朝鮮」(新日本出版社昭和45年刊行)を御存知なのでしょうか。
諸先輩の言論活動の軌跡を、諸先輩の著作を通して学ぶという謙虚さを、若い共産党員に持っていただきたいものです。
一昔前の日本共産党の「赤旗」や「前衛」掲載論考や新日本出版社の出版物を一切読んでおらず読む気もない方々が日本共産党の国会議員をやっているのなら、国民を愚弄しているようなものです。
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