2017年1月8日日曜日

小島晴則「写真で綴る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ」(高木書房刊行)より思う

「前略 其の後新潟では皆さん何のお変りもなく御元気でお過ごしの事と思います。当方は小生の病が一進一退で、朝鮮では職場を六ヵ月以上病欠すると自動的に社会保障になり(職場はやめなければならぬ)一月日本金で約二千二百五十円を支給されてくらすようになります。


そういう訳であわれにも小生完全な廃人となりました。いかに健康の為とはいえ真に口惜しい毎日です。

あわれなのは小生よりも愚妻と子供で愚妻は三人の年子を連れて職場にこの十月から出る事になりました。...

先日来御手紙した如く毛布(千二、三百円の物)百枚位かサッカリン二百Kg位を何とかして貰えませんか。...

妻や子はボロを着てもまづい物を食べても国の為革命の為と労働者階級の為にと思って頑張って来たのですが、

梨花という二番目の子はクル病で病的骨折で片輪になってしまうし小生も健康を害し妻も関節を病むしで今や曹浩平一家は満身創痍の形で出るのは苦笑とため息だけです。

勿論人生は長いのだし一時の病気の為に革命の理想を忘れるような小生ではないつもりですが何とか現在の急場をしのげれば先に書いた様に父上母上の御情にすがるしか無い訳です。

どうか御無理でしょうが本帰国事業の終る十一月迄に何とか小生の勝手をお聞き届け下さって御援助下さるようお願い致します。」

(北朝鮮のハムフン市に帰国した元在日朝鮮人チョ浩平さんからお父さんのチョ和平さんへの手紙より抜粋。一家は昭和37年2月14日に北朝鮮に帰国。同書p315掲載)

北朝鮮への帰国事業と運動が盛んに行われていた頃から新潟で現場を綿密に記録してきた小島晴則氏によるこの本は、日本の社会運動史を考える上でも貴重な文献です。

北朝鮮に帰国したチョ浩平さんは当初、両親に帰国を勧めていたが...


昭和42年9月27日付けのこの手紙を最後に、チョ浩平さんからの連絡は無くなってしまいました。

昭和34年より行われた北朝鮮への帰国事業により、九万三千余名(日本国籍保持者がそのうち約六千名)が北朝鮮に帰国しました。

チョ浩平さんは東北大学で生理学を専攻していたのですが、朝鮮総連関係者から「平壌に行けばモスクワの大学に行ける」と言われ、日本人妻小池秀子さんを伴って帰国しました。

帰国後はなぜかハムフン医大に配置され、モスクワには行けませんでした。

帰国当初、チョ浩平さんは次のように日本の家族に「祖国はすばらしい」という手紙を書いていました。

「現在の仕事は講座長の助手をやっています。毎日、研究のためにあちこち出歩きますが、なかなか大変。...

こちらは良くなる一方だし、種々な不良品もありますが、そんなことは社会保障、医療制度、就業の自由で充分償われているし、物価は非常に安定していますから生活に不安はありません。...

日本で下らぬ商売をするのが良いか、帰って来防ある生活をした方がよいか、植民地人的な根性を捨てて早く帰って下さい。

宣伝だ、などと思ってはなりません。金など一銭も持ってこなくてよいです。...」

(「新潟帰国協力会ニュウス、昭和38年9月15日より。同書p551掲載)

チョ浩平さんと妻小池秀子さんはなぜか別に暮らすようになった―一家5人全員が射殺?


ところがチョ浩平さんはその後、生活の苦しさを訴えるようになりました。

昭和42年9月27日の前記の手紙を最後に、チョ浩平さんからの消息は無くなります。

この本のp657に掲載されている毎日新聞記事(平成15年2月8日夕刊)によれば、小池秀子さんが昭和48年7月に実家に「子供たち3人と4人暮らしになって6年になります、という手紙が届きました。

4人ですから、夫の浩平さんとは別に暮らしていることになります。この手紙を最後に、小池秀子さんからの消息も途絶えてしまいました。

状況を知ったアムネスティ・インターナショナルが北朝鮮側に照会しました。

浩平さんは1967年にスパイ容疑で懲役20年の判決を受けた後、74年10月に脱獄し、ボートを奪って逃走を試みる途中で、一家5人全員が射殺されたと北朝鮮側はアムネスティに報告してきたそうです。

病弱だったチョ浩平さんが、妻子を連れていったいどうやってボートを奪うというのでしょうか。北朝鮮当局の「回答」には何の信ぴょう性もありません。

1960年代後半、北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人の相当数が消息不明になった


北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人のうち、どういう訳か1960年代後半に消息不明になってしまった方は少なくありません。チョ浩平さん、小池秀子さん一家はその一例にすぎません。

この本には、卒業した新潟中央高校に梅の花を植えて帰国していった金和美さんの話も出ています(朝日新聞新潟版昭和36年4月13日記事。同書p325)。

会津出身の金和美さんは、新潟市の親類の料理店で働きながら新潟中央高校の定時制に通っていました。卒業後和美さんはもっと勉強したい、と単身で帰国しました。

昭和35年3月の事です(同書p622)。金和美さんと交流のあった小島晴則さんらは、金和美さんがきっと幸せになると確信していたでしょう。

ところが金和美さんは、昭和40年に訪朝した新潟市議会議員によれば、すっかりやつれていたそうです。

金和美さんは「偉大なる金日成首領さまの懐に抱かれて幸せです。」というだけでした。

そのずっと後に北朝鮮を訪問した在日朝鮮人の話によれば、金和美さんは帰国当初は平壌の医科専門学校に入れたのですがやがて退学させられ、中国国境近くの新義州に移されました。

新義州で金和美さんに会った在日朝鮮人によれば、彼女は見るに忍びないほどやつれて、何かに怯えていました。うつろな目で会話がほとんどできませんでした。

この方によれば、金和美さんらの一日の食事は油を搾りとったトウモロコシの粕に雑穀を混ぜたのが一日二百グラムだそうです(同書p623)。

これでは、金和美さんは生きのびていけないだろうとこの方は小島晴則さんに語りました。

金和美さんと会った在日朝鮮人は、新潟県の在日本朝鮮人総連合会副委員長を務め、北朝鮮に多額の献金をした方です。

その方の次女が昭和47年に朝鮮大学校の学生二百名部隊に指名されて帰国したそうです(同書p626)。在日朝鮮人の世界では、「熱誠者」の御一家といわれるような方々です。

この方の訪朝体験談に、嘘偽りがあるとは到底考えられない。

在日本朝鮮人総連合会関係者は、消息不明になった元在日朝鮮人を「山へ行った」という隠語で表現します。

人里離れた山間へき地に、理由不明である日突然一家もろとも連行されてしまうという意味です。

在日本朝鮮人総連合会は憎悪心を発散するために反日宣伝をする


「山へ行った」については、在日本朝鮮人総連合会の運動に長年従事している方ならよく御存知のはずですが、在日本朝鮮人総連合会の公刊物には一切言及されていません。

在日本朝鮮人総連合会の活動に熱心に従事した数々の先輩方が、北朝鮮に帰国後徹底的に抑圧されている史実を、後輩の在日本朝鮮人総連合会は何としても隠蔽せねばならないということなのでしょう。

「金日成民族」の一員として、「全社会の金日成・金正日主義化」、すなわち大韓民国滅亡のために日夜尽力されている方々ですから。

「偉大なる首領」「民族の太陽」「偉大なる領導者」のもとで、人民は皆幸せに暮らしていると「金日成民族」は全力で宣伝せねばならないのです。

首領様に対する絶対性、無条件性に欠ける人間は民族反逆者ということになっています。

こう考えると、在日本朝鮮人総連合会の皆さんの言動を「理解」できますが、皆さんの内心については想像するしかありません。表と裏の顔、心を持つ方々なのだと解釈するしかない。

不気味なことこのうえない。

「全ての社会問題は日本による朝鮮半島植民地支配のせいである」-左翼の共通点―


在日本朝鮮人総連合会の皆さんは日本人に対する激しい憎悪心を抱いています。

在日本朝鮮人総連合会は日本人拉致をデマだと長年喧伝してきましたが、この件についても一切謝罪していません。憎しみの対象である日本人に謝罪などありえないということです。

日本と朝鮮半島の全ての社会問題は、日本による朝鮮半島に対する植民地支配を原因としていると無理やり思い込み、それを声高に宣伝すれば日本と韓国の左翼から拍手喝采されます。

在日本朝鮮人総連合会はこの類の宣伝を最重視していると考えられます。

殆どの在日韓国・朝鮮人は、日本の左翼と似た感性を持っていますからこの類の宣伝に同調しやすい。

在日韓国人の多くは、自分が大韓民国の国民であるという認識を持っていません。

殆どの在日韓国人は大韓民国が北朝鮮の武装工作員による生物・化学兵器攻撃や核攻撃の危機に直面していようと自分たちとは何の関係もないと考えています。

そんなことより、全ての社会問題は日本の植民地支配のせいだという愚論が今後、左翼化した在日韓国・朝鮮人により普及されていく可能性があります。

左翼は時代の雰囲気に便乗して共産主義国宣伝をする


左翼は時代の雰囲気を巧みに利用します。

北朝鮮への帰国事業が行われていた頃、時代の雰囲気に便乗してテロ国家北朝鮮を礼賛したのは宮本顕治氏ら日本共産党員と在日本朝鮮人総連合会でした。

在日韓国・朝鮮人に対して「朝鮮へ帰れ!」などと怒鳴るのは不適切です。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが北朝鮮に帰国しないのは、帰国すれば朝鮮労働党により徹底的に抑圧されることを熟知しているからです。

罵詈雑言を流布すると、在日本朝鮮人総連合会や左翼の狡猾さを日本人が見抜けなくなってしまいます。

奇妙ですが、「朝鮮人は朝鮮へ帰れ!」と怒鳴る人々と、在日本朝鮮人総連合会の皆さんには、大韓民国は滅亡してしかるべきであるという共通点があります。

ヘイトスピーチ反対とやらの運動に参加している在日韓国人はこれに気づいていないようですが。知っていても、あえて目を背けている知識人は少なくない。

共産主義運動に参加してきた左翼政治家なら、これを十分承知しているはずです。日本共産党と朝鮮労働党の共同声明を読めばすぐにわかることですから。

ヘイトスピーチ反対で在日本朝鮮人総連合会関係者と連帯・共闘すると自分を「良心的政治家」と宣伝できるから、南朝鮮革命すなわち大韓民国滅亡策動から目をそらしているのです。

北朝鮮への帰国事業、帰国運動の史実から学ぶべきことの一つは、テロ国家北朝鮮を礼賛してきた人々の狡猾な生き方です。

韓国左翼も、テロ国家北朝鮮による人権抑圧から目を背けています。

これが韓国社会でもっと明らかになれば、北朝鮮への備えとして米韓軍事同盟の強化が必要だという話になってしまうからです。これは韓国左翼の長年の主張と逆行します。

それより、日本が植民地支配に無反省なのが最大の問題だという愚論を普及すれば、韓国社会では拍手喝采されます。

これに正面から反対する人は韓国では稀有です。

太宰治が厳しく批判した人々の内心


いつの時代でも、その時代の雰囲気に便乗し、自らを素晴らしい人物であるかのように脚色して世の中を渡り歩く人々はいます。左翼だけではありません。

私見では、太宰治はそんな生き方をする文学者を毛嫌いし、その人たちの内心を暴きました。この件については別の機会にふれます。







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