2014年9月5日金曜日

「マリ―・アントワネットと子供たち」よりフランス革命を思う(中野京子「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」光文社新書第九章、エリザベート・ヴィジェ=ルブラン作)

アントワネット32歳の肖像画。女盛りを迎えた王妃の美しさ、子供たちの愛らしい仕草、スカートに縁取りされた毛皮やレースの繊細な描写。(前掲書p148より抜粋)



中野京子前掲書第九章掲載のこの絵はフランス革命の僅か2年前、1787年に描かれました。高貴な血筋の王妃の気品を感じさせます。ヴェルサイユ宮殿美術館にあるそうです。

作者のエリザベート・ヴィジェ=ルブランはマりー・アントワネットの絵を二十点以上描いているそうです(前掲書p148)。

後世の私たちは、この絵の僅か6年後にルイ16世と彼女が処刑されてしまうことを知っていますが、御本人や描いた作者にはわかりようもなかったはずです。

しかし、時代の大きな流れを優れた芸術家は感じ取るのでしょうか。

皆の視線はばらばらで、アントワネットの表情もどことなく虚ろだ


勿論「首飾り事件」などによる「赤字夫人」という王妃の悪評は作者にも届いていたでしょう。中野京子はこの絵を次のように評しています(前掲書p149)。

「けれど絵からは幸福感が漂ってこない。皆の視線はばらばらで、アントワネットの表情もどことなく虚ろだ。

長男が指さす緑色の幼児用ベッドは無人で、黒々と無気味に口を開けている。それもそのはず、ここに寝ていた次女が亡くなったばかり。

この絵は、わが子を失った可哀そうな王妃、というもう一つのメッセージをも伝えているのだ」。

絵をよく見ると、三人の子供たちはそれぞれ違う方向を見ていることに気づきます。

子供がキョロキョロあたりを見回すのは普通のことですが、それをあえて描き出したところに作者の優れた感性が表れているのでしょう。

次男ルイ・シャルルは動物以下の扱いを受けてゆっくり生殺し


絵の中でマりー・アントワネットが抱いている乳児期と思しき次男ルイ・シャルルには次の運命が待っていました。

「物心ついた段階から幽閉され、最後はたったひとり、光も当たらぬ独房で、動物以下の扱いを受けてゆっくり生殺しにされたのだ」(前掲書p150)。

ルイ16世の処刑後、8歳のルイ・シャルルは王位継承者でした。革命側は王制廃止のために彼を
なぶり殺しにすべきと判断したのです。

王家の悲劇を思うと、フランス革命が「自由・平等・博愛」の理念を掲げ、近代市民社会の礎を築いた市民革命だったなどという議論が愚論そのものに思えてきます。

ルイ16世に嫁いだ後暫く、王妃は贅沢三昧の生活をしたのですが、諸悪の根源とまでは言えない。

暴徒にヴェルサイユ宮殿が制圧されてしまうのですから、国王はさほどの軍隊や警察を持っていなかったのです。国民の動向を常に監視する治安警察はなかったのです。

人民が暴虐な圧政に苦しんでいたとも言い難い。王家による奢侈生活が国民生活悪化の唯一の要因とも言い難いはずです。

ケインズ派から見た王家の奢侈財消費―総需要の一部として景気を刺激


ケインズ派は、奢侈財消費の経済的影響を次のように説明します。

王家の奢侈財消費が、自国内の財に向けられていたのなら総需要の一部になって国内の景気を刺激しうる。

贅沢財を生産するためには当時なりの研究開発投資もなされたはずです。素晴らしい装飾品を作るための技術革新がなされたかもしれません。

国庫が王家による奢侈財消費で赤字になっていたのなら、奢侈財を生産していた国内企業とそこに勤める労働者が多少は潤っていたはずです。

その赤字を通貨の大量発行で賄ったらインフレになり労働者は苦しんだかもしれませんが、緩やかなインフレなら投資を刺激したはずです。

これは20世紀のケインズ派的発想ですから、18世紀後半の経済学者や知識人には想像しがたかったでしょう。

当時のフランス経済の実態はどうだったのか、そのうち文献をあたって考えてみたいと思っています。紙幣の乱発によるインフレは生じていたようです。

当時のパリで、パンの生産と流通を増やすためにはどんな政策が必要だったのか。パリ市民は自分では農業に従事していませんから、パンを買うしかない。

パンの供給が増えれば、インフレも収まることになります。供給側の問題点もあったのでしょう。

殺戮を繰り返したフランス革命の残虐さは、もっと知られてよいでしょう。



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