あでやかな着物のお市の方の絵は、長女茶々が描かせた
人を描くとはどういうことなのでしょうか。私は絵画の手法を殆ど何も知りません。
日本の昔の人物画は、実際の容姿そのものを正確に描写することを目指していないようにに感じます。西洋の人物画とこの点で異なっているのではないでしょうか。
これはルネッサンスと何か関係があるのかもしれません。
お市の方は情熱的な瞳をしていたのでは―鼻筋が信長と似ている―
それにしても、この人はきっと相当な美女、あるいは美男子、勇猛果敢な武将だったのだろうなと思わせる絵はいろいろありますね。
私はインターネットでみただけですが、お市の方像は素晴らしい。鼻筋が通っています。信長像もそんな印象があります。情熱的な瞳をしていたのではないでしょうか。
昔の日本の絵は目を小さく描くようです。
絵のお市は真っ赤な着物を着ていますが、きっと当時の最高級衣装なのでしょう。今残っているお市の絵は、長女茶々が画家に描かせたものだそうです。
お市の方の高貴さを感じさせます。悲劇の人生を歩んだ母親への茶々の愛情が伝わってくるようです。
悲劇の人生を歩んだ母と長女
お市の方(1547-1583)とは、織田信長の妹で浅井長政、柴田勝家の妻です。調べてみると、近江の国(滋賀県)の領主浅井長政と二十歳くらいで結婚し三人の娘を産んでいます。
長女が茶々ことのちの淀です。浅井長政は兄信長に攻め滅ぼされます。
居城が落ちるとき、お市の方は三人の娘を連れて生きのびるのですが、夫や嫁ぎ先の義父母が死んでいく様を目の当たりにしていたでしょう。
このときのお市は26歳くらいです。およそ9年後、今度は兄の天下人信長が本能寺で明智光秀にやられてしまいます。
お市は信長の筆頭家老だった柴田勝家に嫁ぎますが、再婚生活は1年しか続きませんでした。猛将柴田勝家も、軍団の機動力を備えた知将羽柴秀吉に滅ぼされてしまうのです。
お市は三人の娘を逃げさせ、勝家とともに居城で果てます。勝家が介錯をしたのでしょうね。36歳の若さでした。
大阪夏の陣で露と消えた茶々は生涯で三度の居城落城を経験しました。激しい生き方をする運命だったのでしょうね。お市の方の絵は、高野山にあるようです。
大阪夏の陣屏風―戦国のゲルニカ―
大阪夏の陣屏風は大阪城にあるのでしょう。これは落城の凄惨な様子を描いています。戦国のゲルニカとも言われるもので、黒田長政が描かせました。
ところで、お市の三番目の娘はお江の方、徳川秀忠の正妻です。調べてみると、お市の血筋は今上天皇に脈々と受け継がれているのですね。
戦国時代の勝者、敗者とはいったい誰なのでしょうか。既に決着がついた過去の人であっても人生を正確に描くことは難しい。
生きている私たちがそれぞれの人生を、思うように描いていくのが難しいのも当然かもしれません。
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