2014年9月15日月曜日

遠藤周作「マリー・アントワネット」(新潮文庫)より思う―彼女は首をふって帽子を頭からおとし、助手たちに連れられてギロチンの落ちる台にその首を入れた。

鈍い音。首輪がねじでしめられた。十二時十五分。群衆の喚声がまた波のように起こった。鳩が舞いあがった(前掲書下巻p375-376)。


マリー・アントワネットの最期を遠藤周作はこのように描いています。1793年10月16日でした。処刑直後、「共和国万歳」という群衆の喚声がコンコルド広場であがったのでしょうか。

マリー・アントワネットの人生そのものについては、遠藤のこの本より、伝記文学として書いたシュテフアン・ツヴァイクの本が詳しいでしょう(河出文庫)。

遠藤のこの本は小説ですから、架空の人物が何人も登場します。登場人物が交わす言葉や心中の呟きの中に、遠藤の読者へのメッセージが込められているのでしょう。

「間抜け」パン屋のおかみはマルグリットを大声で怒鳴りつけた。


この小説の冒頭は、孤児院からパン屋のおかみに引き取られて毎日パン屋で重労働をしているマルグリットが、おかみさんから「間抜け」と怒鳴られる場面から始まります。

マルグリットはマリー・アントワネットとそっくりでした。

マリー・アントワネットがオーストリアから国境の町、ストラスブールにやってきた日のことです。

ガラス張りで金色に縁どられたオーストリア王女の馬車を見て、市民は叫びます。

「万歳、マリー・アントワネット姫」「万歳、我々の王女」。

群衆の背の間からマルグリットは心の中で呪いの言葉をくりかえします。

「あんな子は・・・早く、死んじゃえばいい。早く、殺されたらいい」(前掲書上巻、p11)。

マルグリットはその後、様々な人間に操られながらマリー・アントワネットの周辺にいることになります。処刑場に向かう馬車のマリー・アントワネットを目撃した彼女は、次のように呟きます。

孤児だったマルグリットの呟きに遠藤の人生観


「あんたがいなかったら、わたしは自分の惨めさに気づかなかったかもしれない。でもあんたをあのストラスブールで見てから、わたしは自分のみじめさや、この世の不公平をたっぷり知ったわ」(前掲書下巻、p373)。

マルグリットのこの呟きに、遠藤の人生観が現れているのでしょう。

「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」という、「わたしが・棄てた・女」の語り手吉岡の呟きです(講談社文庫、p150)。

マリー・アントワネットは絶望的な状況で死を迎えることになってしまいましたが、その死に方を通して多くの人、そして現代人ともと交わっているのでしょう。

マリー・アントワネットの悲劇的な死に方は、その後のフランスの文学や絵画に大きな影響を与え、世界に発信されていったのです。

マリー・アントワネットは死に方を通じて、フランスに大きく貢献したのではないでしょうか。

アニエス修道女の訴え「革命の美名のもとに実は人間の醜いエゴイズムや暴力が行われるのはなぜでしょうか」(下巻p296)


この小説のもう一人の重要な登場人物は、アニエス修道女です。羊飼いの娘に生まれた彼女に教育を与え、学校に通わせてくれたのは一人の善良な神父でした。

自分の意思で彼女は尼僧となりました。教会と聖職者により今日の自分があるのです。

しかし彼女は、次のように修道院長に訴えます。

「修道女が修道院にとじこもり、何もしない時代は過ぎ去ったような気がします。わたくしは修道女ですから、更に正しいことに向かって飛びこんでいきたいのでございます」

修道院を出たアニエスはその後、偶然から革命家を殺めることになります。

捕えられた後、アニエスはコンシェルジュリーというマリー・アントワネットが幽閉されている場所に囚人として閉じ込められます。

アニエスが捧げた祈りの声は、死にゆくマリー・アントワネットの心の慰めになりました。アニエスも群衆の罵声や怒号の渦のなかで跪き、ギロチンの穴の中に従順に首を入れて生涯を終えます。

実際のマリー・アントワネットの周囲にも、後世の私たちには知りようもない、彼女を支えた無名の善良な人物がたくさんいたのかもしれません。その出会いは偶然の産物だったのでしょう。

「神がさいころをふった」のでしょうか。

人生で我々人間に偶然でないどんな結びつきがあるのでしょうか。(「わたしが・棄てた・女」、講談社文庫p25)。

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