たしかに彼はルイ14世のように英邁でもなければ英雄でもなかった。一人の平凡な男だった。しかし、歴史はこの平凡な男を王家に生まれさせ、革命の渦中に放りこんだのである(同書p201)。
作家の人間観察眼は、歴史家のそれと大きく異なります。歴史家は文献史料を何より重視します。歴史上のある人物が歴史に残した業績を主に文献史料により判断します。
人物評価をするときも、その業績、その人物の書き残した日記や手紙、周囲の人物によるその人物の評価が書かれた文献史料から判断します。主観をできるだけ排します。
歴史家から見れば、ルイ16世は無能で愚鈍な人物としか言いようがない。
バスティーユ牢獄が市民により攻撃された日のルイ16世の日記には、「書くことなし」(Rien ne
écrire)とだけ書いてあったというのは有名な話です。
ルイ16世は飢えにより王侯貴族に激しい反感を持つようになっていったパリ市民の動向を全くと言っていいほど、把握していなかった。
歴史に忠実であろうとする伝記作家は、概ねルイ16世を愚鈍な人物と描いています。
歴史家、伝記作家と小説家の違い―歴史上の人物の心の動きに焦点をあてる
しかし、歴史を叙述するとき、歴史上の人物の心の動きに着目して歴史を把握し描写する手法もありえるはずです。ここに小説家の出番があると遠藤周作は考えていたのではないでしょうか。
歴史上の人物の心の動きなど、史料により検証、確認することなど殆ど不可能ですから、作家が想像をめぐらせるしかない。
心の動きに関する想像など史実ではない、それは検証できないと歴史家はいうかもしれませんが、作家の想像を反証することもできない。
勿論、作家が描き出す歴史上の人物像が史実と根本的に異なっていたら完全なfictionになってしまいます。
どこぞの作家がルイ16世を軍才の溢れる皇帝と描いたら奇妙な事この上ないですが、ルイ16世の愚鈍さを別の視点、彼の心の動きから把握すれば、それもありうる史実です。
人の心は常に揺れ動く。誰でも、心の中ではあらゆることを呟いている。ルイ16世の愚鈍さの中に、遠藤周作は善良さと心の優しさを見出します。
遠藤周作はルイ16世を「さらば夏の光よ」の野呂や、「深い河」の大津のような人物と見たのではないでしょうか。
心の動きを史料から解釈し典型化するという手法は、経済学者が現実をデータで把握し、数式により模型化する手法と共通するものがあります。
どちらも、史実と現実に対する重要な接近法です。
ルイ16世も激動のフランス革命で変貌した―最後まで見せた優しさ
フランス革命の激動の中、マリー・アントワネットが大きく変貌していったことはツヴァイクの伝記などによりよく知られていますが、ルイ16世もそうだったと遠藤は語ります。
バスティーユが市民に占領され、市民軍が創設されたとき多くの貴族はヴェルサイユ宮殿から逃亡しましたが、ルイ16世は先祖伝来の宮殿にふみとどまりました。
ルイ16世はパリに赴き、市民代表と会って何とか妥協点を見つけようとしました。ルイ16世のはかない努力で革命の歯車が止められるはずもありません。
タンプル塔に幽閉され、裁判で処刑されることになってしまいます。ルイ16世は遺書でアントワネットに次のように書き残しました。
「自分が彼女に与えた不幸を許してほしい。自分もまた妻に何の含むことはない」。
「なんの含むことはない」という記述から遠藤は、ルイ16世が妻アントワネットが必ずしも良妻でなかったこと、ある種の精神的裏切りをやったことを思い出しながら書いたと解釈します。
平凡人ルイ16世はその優しさ故に当時の人々だけでなく伝記作者にも馬鹿にされますが、遠藤はそんな彼が哀れでならず最後に見せた優しさに心惹かれます。
ここに、作家遠藤の人間観察眼が発揮されています。
悲劇的な最期により祖国フランスに不朽の貢献をしたルイ16世一家
遠藤によれば、ルイ16世は自分で上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、「驚くべき冷静さと気丈さ」でギロチン台にのぼりました。国王にふさわしい最期を遂げようと思ったのでしょうか。
ルイ16世一家の悲劇的な結末が文学や映画、絵画を通じて後世に残した影響ははかりしれません。祖父の「太陽王」ルイ14世より、日本ではルイ16世一家のほうが遥かに知られています。
悲劇的な死に方により、ルイ16世一家は祖国フランスに不朽の貢献をしたのです。
自分はどう生きるべきかという問いかけは常に必要ですが、死に方も大事なのでしょう。
遠藤周作は若い頃から、死に方に思いをめぐらせる作家でした。
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