2015年1月12日月曜日

J.H. クラウセン(Johann Hinrich Claussen)「キリスト教のとても大切な101の質問」(創元社、原題Die 101 wichtigsten Fragen Christentum)より思う。

イエスはキリスト教徒ではなく、ユダヤ教徒です。(中略)大勢いたユダヤ教徒の改革者の一人がイエスだったわけです(同書p66-67より抜粋)-


筆者によれば、本書は一般教養としてキリスト教に関する情報を得たいと思う人、世界におけるキリスト教の現況を把握したい人に向けて書かれました。

私もそういう一人ですから、本書は読みやすかったです。一般教養としてのキリスト教に関する情報は西洋社会を理解するためにも必要です。

本書による聖書解釈は、柔軟かつ現実的です。聖書はその大部分が千年近くにわたってゆっくりと人目につかず形成されていった共同作品です(p17)。

聖書は何世代もの間、口承により伝えられた伝説です。古代人からの口承伝説に現代人は敬意をもって接するべきです。

最初のキリスト教徒は使徒パウロ


イエスはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒である、という見解は、少し考えてみれば当然のことです。イエスは大勢いたユダヤ教の改革者の一人だったのです。

本書によれば、使徒パウロがイスラエルの宗教的戒律を乗り越えたと表明し、キリスト崇拝をその代わりとしたとき、ユダヤ教から明白に分離しました。最初のキリスト教徒はパウロです。

101の質問のうち、私が共感できた筆者の回答と私の感想を書き留めます。

18. 神は存在するのですか


→神のことを「ある」ということはできません。神は人間の物体意識の対象物ではありません。(中略)。神に関しては、自分自身の生き方との関連のみで語ることができます。

神の存在とは事実上の真理ではなく、実存上の真理なのですと筆者は語っています(p45)。

この考え方は、遠藤周作の「神とは自分の中にある働きである」(「私にとって神とは」p28)と通ずるものを持っています。

遠藤は神を、自分自身の生き方との関連で捉えることを主張していました。神の存在とは実存上の真理であるという考え方なら、多くの人が共感できるのではないでしょうか。

22. 神は悪意を持っていますか。


→神は人を創り、それとともに善と悪を区別する自由の意思を与えたのです。その限りでは神はみずからの全能を放棄したのです。

そして人間が神の本来の意図に反して悪を選びとり、実行することにも耐えている。神は耐えるだけでなく苦しんでもいます。

人間が悪行を重ねるとき、神は苦しんでいるのでしょうか。大宇宙を見渡せるような存在がちっぽけな人類のことをどれだけ気にかけているのだろうと私には思えてしまいます。

私のこんな問いかけに、おそらく筆者は次のように答えるのでしょう。

「キリスト教の神は、素晴らしい天国の広間に平然と君臨する、全能の、宇宙の王者ではありません。神はその被造物が苦しむところにいます。

イエスの復活物語は、神の力がその弱さの中にあり、遂には神の善があらゆる悪に打ち克つことを伝えています」(本書p52)。

そうなのでしょうか。

全能の神はなぜ悪に対して沈黙しているのか


神はなぜ悪に対して沈黙しているのか。本書は率直に次のように述べています。

「これほどの不正がはびこるのを神の正義はなぜ放置するのかという謎が,キリスト教によって解かれるわけでもありません。

キリスト教の使命は、この疑問から更に他の疑問へと強化することにあるのかもしれないのです」。

大宇宙を創成した神が人類の行う所業にいちいち干渉してくるのでしょうか?偶然によりとんでもなく不幸な境遇になってしまう人はいくらでもいます。

キリスト教の歴史の中で、弾圧され殉教した信者は数知れない。聖人でも、実にあっけない、偶然により悲惨な死を迎えてしまったので記録に残せなかった場合もあったのでしょう。

聖人がなぜあっけなく死んでいくのか。遠藤周作によれば、この問いかけにより聖人の弟子たちの心が試されていきました。

聖人はその死に方によっても、人々に然るべき影響を及ぼすのかもしれません。

キリスト教会による「異端」弾圧、「魔女」狩りはなぜ起きたのか-北朝鮮、中国と同様か-


中世にはキリスト教会が権力そのものとなり、「異端」を弾圧する側に回ったこともありました。

これらはなぜおきたのか?現代だろうと中世であろうと、悪行を犯した人の心の有様、動きを私たちが考え、解釈を与えていくべきなのでしょう。

戦国時代、日本に来た宣教師は織田信長による比叡山焼き討ちを喜んでいたそうです。焼き討ちを断行したのは織田信長ですが、大量殺戮をキリスト教徒は喜ぶのでしょうか。

当時のイエズス会にとって異教徒は滅びるべきという考え方だったのでしょうか。

悪行の定義が、時代と社会により異なってくることに留意すべきです。

北朝鮮社会では、日本人や韓国人を武装工作員が拉致してくることは崇高な任務の遂行であり、賞賛されるべきことです。

私には、北朝鮮の最高幹部の心の奥底には悪魔が住みついてしまっているように思えます。最高幹部は金日成や金正日がとく「主体革命偉業」など、本音では信じていないでしょう。

金正恩に忠誠を近い、金正恩を支えれば自分の利益になるから、次から次へと朝鮮労働党最高幹部は残虐、凶悪行為を実行しているだけです。中国共産党も同様です。

暴力団の幹部と中国共産党、朝鮮労働党の最高幹部は良く似た思考方式を持っています。

中世のきリスト教会の価値観、世界観では「異端」を悪魔とみなし、火炙りなど残虐な刑に処して再生不可能にすることが善行だったのかもしれません。

北朝鮮では「民族反逆者」、中国では「祖国分離主義者」を政治犯収容所、労働改造所などに連行し過酷な囚人労働をさせることが善行であるとされています。

中世のキリスト教会には、現代の中国共産党、朝鮮労働党と似た思考方式があったのかもしれません。

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