不破さんは、日本人拉致問題がどのように日本社会で共通の認識になっていったかについて殆ど何も知らない。
この本は17年前に出ています。不破さんは実に変な宣伝をしていました。
この少し前で不破さんは、橋本敦さんが昭和63年3月26日に参議院予算委員会で日本人拉致問題について行った質問について説明しています。
梶山国家公安委員長と宇野宗佑外相が北朝鮮による拉致疑惑を国会答弁で認めた件について、不破さんは次のように説明しています。p215に以下があります。
「北朝鮮による拉致の疑惑を、日本政府が、国会という公的な場ではじめて認めた瞬間でした。
このとき、橋本さんが取り上げた事件は、1977年11月の横田めぐみさん(太字は黒坂)、
1978年6月の田口八重子さん、同年7月の地村保志さんと浜本富貴恵さん、蓮池薫さんと奥土祐木子さん、8月の市川修一さんと増元るみ子さんの事件でした」。
何となく読んでしまうとこの記述のどこがおかしいのかわかりませんが、昭和63年3月の橋本敦議員質問に横田めぐみさんの件が含まれているはずがありません。
これはインターネットから国会議事録でも確認できます。
橋本敦議員は昭和63年3月に横田めぐみさんについて何も知らない
横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されているらしいとわかったのは平成八年暮れぐらいですから。
この件、私も少し関係がありますので改めて記しておきます。
平成八年暮れに、新潟で小島晴則さんらが北朝鮮に関する集いを開催しました。
講師として呼ばれた現代コリア研究所の佐藤勝巳さんが、少し前に「現代コリア」に掲載された子供の拉致事件について話をしたそうです。
「現代コリア」に子供の拉致についての記事を書いたのは、大阪朝日放送の石高健次さんでした。
横田めぐみさんがいなくなった昭和52年11月頃、新潟日報に記事として出ていたので、参加者からこれは横田めぐみさんの話ではないか、と判明したのです。
石高健次さんはこの時点では、横田めぐみさんの事件など全く知りません。私は「現代コリア」の石高さんの記事は読んでいました。
横田めぐみさんの写真付きの新潟日報記事が、「現代コリア」のインターネットに出たので私は驚愕し、小島さんに電話しました。
荒木和博さんともこの頃、電話で話したような気もします。一月初めに私は、堺の西村真悟議員の事務所にお尋ねし、日本人拉致問題を国会で出して下さいとお話していました。
横田さんのご両親が、東京方面に引っ越してしまったこと、お父さんは日銀の方だったということを小島さんから伺いました。
私は少し後に兵本達吉さんに連絡して、横田めぐみさん御両親に事件について知らせてくれるようお願いしまいした。これは平成九年一月下旬です。
快諾してくださった兵本さんが日銀に連絡し、横田さん御両親と連絡できたのです。
昭和63年3月では、横田さん御両親も北朝鮮の仕業だなどわかっていません。
橋本敦さんは勿論、柏崎、小浜、鹿児島の拉致家族宅を訪問して橋本質問を準備した兵本達吉秘書(当時)も、この時点で横田めぐみさんのことなど知るはずもない。
橋本敦議員は、横田めぐみさんの件以外では上記のほか、大阪の原さんの件も質問に含めていたと記憶しています。
不破さんは、横田めぐみさんの件も橋本議員が初めに国会で取り上げた事にして日本人拉致問題を日本社会に広めたのは日本共産党ですよ、と宣伝したかったのでしょうね。
兵本達吉さんや筆坂秀世さんから、不破さんは日本人拉致問題で強く批判されています。
私も本ブログなどで不破さんの「拉致は疑惑に過ぎない」論を批判してきました。
日本共産党は宣伝を重視する政党です。
レーニン、スターリン、毛沢東と金日成、金正日も同様です。
共産主義者は、どんな嘘でも、宣伝により人々に真実と思い込ませることができると確信しているのです。
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