2014年4月22日火曜日

フランス革命期の暴徒と中国文化大革命の紅衛兵の「造反有理」-エヴリーヌ・ルヴェ「王妃マリー・アントワネット」(創元社)より、言論活動について思う―

その行列のあとには、槍、鎌、鉄砲などで武装したパリの住民たちがつづいた。彼らは王政を罵倒し、王妃を「オーストリア女」と呼びすてて、殺してやると叫びながら行進した(「王妃マリー・アントワネット」p79より)-



フランス革命とは、絶対王政と旧制度(アンシャン・レジーム)を民衆が打倒した進歩的社会変革という印象を持っている人が多いのではないでしょうか。


政治犯の牢獄として使われていたバスティーユ牢獄は専制政治の象徴だった。


パリの民衆が1789年7月14日にここを襲って破壊したことにより始まったフランス革命は民主主義の起点であるというような話を歴史の授業で習ったような気がします。


この歴史観は、史実と大きく異なっているように思えてなりません。


冒頭の文章は、1789年10月5日早朝にパリの下層階級の女性たちが失業とパンの値上がりに抗議し、国民衛兵を従えてヴェルサイユへ向かったときのことだそうです。


ヴェルサイユ宮殿には堀も石垣もない―国王がさほどの軍事力を持っていない―



この後暴徒はヴェルサイユ宮殿に侵入します。近衛兵が多数虐殺され、彼らの首が槍の先に突き刺されたとあります(同書p81)。


ふと気づきましたが、ヴェルサイユ宮殿には日本の城と異なり、堀や石垣はないのですね。宮殿を守る兵隊もさしたる武装をしていなかったのでしょう。国王は武人ではないのでしょう。


フランスでは、太閤秀吉が行ったような「刀狩」に該当する庶民の非武装化がされていなかったのでしょう。


ルヴェの本には槍や鎌、斧で武装した女性たちがヴェルサイユへ行くときの挿絵がでていますが、さしたる武装ではない。


暴徒とは烏合の衆ですから本来、訓練を経た軍隊の敵ではないはずです。


いくら人数が多くても、この程度の武力で国王の居城が「落城」してしまう程度の権力を「絶対王政」などと把握するのはおかしいのではないでしょうか。


国王が警察力すら殆ど掌握していなかったということではないでしょうか。


ブルボン王朝が「絶対王政」というなら、国王は民衆を大量虐殺できるような軍事力や警察力を持っていたと誤解する人が出てきてしまいます。


蛮行を正当化する言説がなぜ流布していったのか



1789年10月5日の事件について、「ルイ17世の謎と母マリー・アントワネット」(デボラ・キャドベリー著、櫻井郁恵訳、近代文芸社、p76)は次のように記しています。


「大勢の人々は宮殿になだれ込み、王室の居室に通じる階段をまっしぐらに駆け上がった。衛兵が後に耳にしたことを報告している。


『あの女の頭をちょん切って...心臓をえぐりだし...肝臓をフライにして...腸でリボンをつくるんだ。それでもまだ足りないよ』。


親衛隊の一人は階段を守備しようとした。彼は槍とナイフで刺され、半殺しの状態で内庭へ引きずっていかれた。そこで首が斧によって切り離された」。


暴徒によって、国王一家はヴェルサイユを追われてパリに連行されてしまいます。こんな野蛮行為を正当化する言説が、この時期のフランスでは庶民の中に広がっていたのでしょう。


「ルイ17世の謎と母マリー・アントワネット」(デボラ・キャドベリー著p80)によれば、パリへ連行される王室の四輪大型馬車の周りには暴徒がいました。


暴徒はヴェルサイユ宮殿の厨房から持ってきたパンを銃剣にさして次のように歌っていました。


「俺たちはもうパンに困らないぞ。俺たちはパン屋とパン屋の女房、パン屋の小僧を連れて帰るところさ」。


パン屋とは王室をさすのでしょう。パン屋とは蔑まれるべき存在なのでしょうか。


啓蒙思想の文献と「毛沢東語録」「造反有理」-人は言葉で世界と自分の位置を把握する―



フランス革命期の暴徒の姿、暴言は、中国の文化大革命の紅衛兵とが彼らが叫んだ「造反有理」を思い起こさせます。


フランス革命が民主主義の起点だなどという歴史学者は、ヴェルサイユ宮殿を防衛していた衛兵の人権をどう思っているのでしょうか。


この時代にはまだ人権などという概念が確立されていなかったのでしょうが、それでも蛮行が民主主義の起点などとは言えないはずです。


蛮行の当事者に権力を持たせればさらなる蛮行が起きてしまいます。


実際にフランス革命では王室だけではなく、次から次へと人々が処刑されていったのです。


蛮行の繰り返しだったフランス革命での「人権宣言」など、とんでもない偽善に満ちた文書だったように私には思えます。


蛮行を正当化する言説がどのようにして庶民の中に広がっていったのか。これは啓蒙思想の諸文献と関連しているのでしょう。


啓蒙思想の諸文献も、読み方によっては「毛沢東語録」のような役割を果たしてしまったのかもしれません。


人々の間に流布している言説は、社会の在り方を決める諸要因の中でも最重要なことのでしょう。人は言葉で世界と自分の位置を把握していくのですから。



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