2014年4月16日水曜日

マリー・アントワネット(Marie-Antoinette)の最期とAlbert Camus「異邦人」、ムルソーの「世界の優しい無関心」「憎悪の叫び」

すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった(「異邦人」新潮文庫p127)より。


健康な人は普段、自分が死んでいくことを実感できないものです。私もそうですが、どういう死を望むかと問われたら、静かな死と答えるでしょう。

そうはいっても、もっと生きていろいろなことをやりたかったな、という気持ちを捨てきれないかもしれません。

現実には静かな死どころか、残念無念、悔しいことこの上ないという死に方を迎えてしまう人もいます。

若くして不慮の死、哀しい死を遂げることになった友人を時折でも、思い起こしたいものです。それも神がサイコロを振った結果なのか、私にはわかりません。

人は哀しい死をどのようにのりこえていくべきなのでしょうか。

フランス最後の王妃マリー・アントワネットの処刑に、民衆は「共和国ばんざい!」


マリー・アントワネットが処刑されたのは1793年10月16日12時15分でした。もう少しで38歳になるところという若さでした。

エブリーヌ・ルヴェ「王妃マリー・アントワネット」(創元社、p114-115)によれば、無数の群衆がひしめくなかで、マリー・アントワネットは断頭台に向かう馬車に乗りました。

処刑場に到着して断頭台を目にしたとき、彼女は一瞬おびえたような表情をしたが、次の瞬間には颯爽と馬車から飛び降りた、とあります。

断頭台の刃が落ちると、死刑執行人は血まみれの頭をつかみあげました。それを見た民衆は、「共和国ばんざい!」と口々に叫んだそうです。まさに「憎悪の叫び」です。

断頭台での死を怖れない人などいない


マリー・アントワネットの最期はAlbert Camusの「異邦人」の最後にあるムルソーの独白を思わせます。「異邦人」は母の死の知らせから始まり、自分の死のあり方で終わります。

「異邦人」は「王妃マリー・アントワネット」より前の作品ですから、Camusが「王妃マリー・アントワネット」を読んでムルソーの死に方を考えたわけではありません。

しかしAlbert Camusはマリー・アントワネットの最期について、歴史書などで何かの情報を得ていたのではないでしょうか。

マリー・アントワネットはまさに大勢の見物人の憎悪の叫びに迎えられて断頭台に上っていったことでしょう。断頭台の死が怖くない人などいないでしょう。

マリー・アントワネットも内心では震え上がっていたのではないでしょうか。

「王妃マリー・アントワネット」によれば彼女は「挑戦的な態度」で断頭台の急な階段をのぼり、頭をさっと振って帽子を落とすと、ギロチンの刃の下に首をおいたそうです。

マリー・アントワネットは軍事作戦を敵側に教えるような売国行為をやっていたのですが、それはこの時点では民衆に知られていません。

若い女性を虐殺することが「共和国ばんざい!」なら、共和国とはいったい何だったのでしょう。フランス革命の時期には、愚かな群集心理の犠牲者となってしまった人がいくらでもいたのでしょう。

哀しい死をのりこえるために―世界の優しい無関心に心をひらく―


群集心理の犠牲による死は本人や親族、友人にとって哀しいことこの上ないでしょうが、誰しも皆死んでいくのです。

それを常に思えば、哀しい死をのりこえられるのかもしれません。

友人らしい友人がいない人の場合、哀しい死であっても誰も関心をもちません。しかし、他人の関心の有無は自分も他人もいずれは死んでいくという冷厳な事実に何の影響も及ぼさない。

「異邦人」の主人公ムルソーがたどりついた「世界の優しい無関心に心をひらいた」とはそんな心境をさすのではないでしょうか。

「世界の優しい無関心」と「憎悪の叫び」は表面では正反対のようですが、死に行く人への思いを欠いているという点では同じです。
それに心をひらくとは、冷厳な事実を事実として心の中で受け入れていくことなのでしょうか。

マリー・アントワネットは内心で震え上がりつつも、死という冷厳な事実すべての人が共有していることを思い起こし、さっさと終わらせろと断頭台に首をおいたのかもしれません。

憎悪の叫びをあげた民衆の心中には、マリー・アントワネットの死にざまが残っていったことでしょう。

先人の死に方に思いをめぐらせていくことが、哀しい死をのりこえていくことにつながるのかもしれません。

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