父はくだらない男でもなければ、エゴイストでもなかった。ただ女性が好きだった。つける薬がないほど。とはいえ、深い感情がわからないわけでも、無責任なわけでもない(新潮文庫p154より)
フランスには、金を優雅に使うことを心得ている富裕層がいるのでしょう。
「悲しみよ こんにちは」の私のイメージは、陽光が降り注ぐ浜辺のカフェで、青い地中海を見ながら高級ワインを飲み、チーズを食べながら談笑している金髪の美男美女たちです。
「悲しみよこんにちは」の語り手は17歳の女の子セシルです。セシルの母は15年前に亡くなっています。40歳で広告の仕事をしている父レイモンにはエルザという愛人(maîtresse)がいます。
父は離婚しているのですから、エルザは愛人というより恋人なのでしょうが、あえて語り手の私は愛人という言葉を用いているのでしょう。父レイモンにとってエルザは愛人でしかない。
29歳のエルザは背が高くて赤毛、社交的ともいかがわしいともいえる女性です。端役の女優としてテレビや映画のスタジオ、シャンゼリゼのバーなどに出入りしています(p10)。
エルザは「職業側、結局は愛も金銭ずくのこの女性」(p132)で、シャルル・ウエッブという演劇関係の広告宣伝に携わっている人物の長年の愛人でした(p135)。
夏の休暇(vacance)に父は二ヶ月間、地中海のほとりに大きな白い別荘を借り、セシルとエルザの3人で過ごすことにしました。
その揺るぎない意志と、人を気おくれさせるような心の静けさが、あらゆるとことに表れているアンヌ(p15)
3人が別荘についてから6日目でしょうか。夕食後、父がアンヌ・ラルセンという、母の旧友で服飾の仕事をしている離婚している42歳の女性が別荘にやってくると話します。
アンヌは「誇り高くもうっすら疲れの漂う、超然とした美しい顔立ちの女性」(p15)です。アンヌは「物事に輪郭を、ことばに意味を持たせる人」です(p18)。
アンヌはレイモンに列車でパリから来ると告げていたようですが、なぜか車で別荘まで来ました。レイモンとエルザは駅までアンヌを迎えに行っていたので、別荘には私ことセシルだけでした。
どこで知ったのか不明ですが、アンヌはエルザを知っていました。しかしエルザとレイモンの関係までは知らなかったようです。
エルザが別荘に来ていることを知ったとき、アンヌの顔をが不意にゆがみくくちびるが震えます(p21)。アンヌは父レイモンを愛しているのか?父にはアンヌ好みのところなどひとつもない。
弱い男だし、軽い男だし、ときどきは無気力だし。セシルは思い悩み始めます。
しかし駅からエルザと帰ってきた父の笑顔をみて、セシルはアンヌが父を愛することは非常にありうると考え直します。誰だって、父を愛しうる(p23)。
セシルの鋭い人物観察に、いつのまにか読者は引き込まれてしまいます。恋は盲目ということですしょう。
レイモンとアンヌの世界観、価値観の違いは埋めようがない
そもそもレイモンのような生き方は相当な資産がある人でないとできない。芸能人を愛人にできる人は現代日本でもフランスでも限られているでしょう。
アンヌはレイモンが受け継いだ資産の意義を示唆しています。その時の会話から、登場人物間の世界観、価値観の違いが浮き上がってきます。
セシルは試験に落ちてもあまり勉強しません。
バカンス後の10月の試験にはうからなくちゃねとセシルをたしなめるアンヌに対しレイモンは、自分は免状など一枚ももらっていない、それでもいい暮らしをしていると述べます。
アンヌはあなたには最初からかなりの財産があったからと指摘しています。
それでもレイモンは、「僕の娘なら、食わせてくれる男どもには不自由しないさ」と堂々と言います。
この世界観、価値観の違いはどうにもこうにも埋めようがないでしょう。
レイモンは娘セシルがエルザのような生き方を選択して良いと考えている
レイモンはエルザを想定しているのでしょうか。金持ちの男性と次から次へと関係を持つことによって、生活の糧とするような生き方を娘が選択しても良いとレイモンは本気で思っているようです。
僕の娘なら、食わせてくれる男どもに不自由しないさと言い放つのですから。
「父とわたしにとって、内面の平穏を保つには、外部の喧騒が必要なのだ。そしてそれを、アンヌは認めることができない」(p153)。
セシルによれば父は、自分のこと以外は気まぐれに身をまかせ、無節操で、安易に流れています。あらゆることを生理的理由でかたづけようとし、それを合理的とよびます。
この小説の魅力のひとつは、レイモンとアンヌという対照的な人物の心中とその生き様をを娘セシルが推し量ったり、評価しているところでしょう。
セシルの思惑による仕掛けがとんでもない結果を引き起こすことになります。それでも似た者同士の父と娘は同じような暮らしをまた始めます。
アンヌの声と言葉は二人の生き方を変えることはできなかったが、ごくたまに良心の呵責
レイモンの次のお相手はなかなか野心のある若い女性で、セシルはその新しいガールフレンドがとても高くついていることを知っています。
セシルと父は、顔をあわせると笑い、勝ち取ったそれぞれの相手の話をします。
アンヌがレイモン、セシルに言いたかったことは彼らの心の隅にはあるのでしょうが、生き方を変えることはできない。時折、二人の心にアンヌの声と言葉が少しだけ蘇えるのでしょう。
それを「ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情」「絹のようになめらかに、まとわりつくように覆う」(第一章冒頭)、すなわち悲しみよこんにちは、とセシルは呼んでいます。
小説の冒頭と終わりは同じような場面になっています。これによりセシルの心の隅にある「ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責」を思い起こさせます。
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