1789年7月14日パリ市民はバスティーユ牢獄を襲撃し、牢獄の司令官、兵士たちそしてパリ市長らを虐殺した。
事実とはそれを観察する人の立場、視点によって随分異なってくるものです。史実もそうです。
Léa Seydoux主演のこの映画の面白さは、マリー・アントワネットの本の朗読係である若い女性の視点からフランス革命時のマリー・アントワネットそしてヴェルサイユ宮殿の人々を描いた点でしょう。
マリー・アントワネットに信頼されている側近の一人だった彼女から見れば、フランス革命など平穏な生活を破壊した蛮行でしかなかった。
ルイ16世のお人好しぶりも描かれています。ルイ16世は、決断と素早い行動ができなかった。判断力、実践力が著しく欠落していた人物だったようです。
ルイ16世やマリー・アントワネットが住んでいたヴェルサイユ宮殿はお城ではありません。フランス王家は敵が攻めてくるということが想定していなかったのでしょう。
日本の城のような堀や頑丈な壁がありません。王を守る近衛兵もさほどいなかったようです。ブルボン王朝は国民の敬愛心により存続していたのでしょう。
さして武装しておらず、軍事上の知識もない暴徒にヴェルサイユ宮殿は簡単に制圧されてしまいました。
映画では、マリー・アントワネットが野蛮な民衆に対抗できる防御力のある城に移りたいと述べています。ルイ16世が決断できなかった。そんな史実はあったのでしょうか。
絶対王政という世界史の教科書用語からは、フランスの国王が現在の北朝鮮のように強力な常備軍や国民を弾圧する治安警察網を持っていたかのように思えてしまいますが、史実とかけ離れています。
新聞が普及し王家に対する罵詈雑言が流布された-奢侈生活は真実だが-
フランス革命の時代には、新聞が発普及し王家に対する罵詈雑言が流布されていました。この映画にも出てきます。
罵詈雑言が広範囲に流布されると、信頼関係が揺らぎ社会が荒れていくのでしょう。
マリー・アントワネットが周囲の人物、ランバル公爵夫人、ポリニャック伯爵夫人(Comtesse de Polignac)らとともに相当な奢侈生活をしていたことは史実です。
奢侈生活の財源は国民の税金です。不作とインフレによりパンが食べられなくなったパリ市民が、贅沢三昧をしている貴族に不満を抱いたのは当然でしょう。
しかし、ルイ16世やマリー・アントワネットを殺害してもパンが食べられるようになるわけではありません。パンの生産を増やすために小麦を増産せねばならない。
当面は、民衆の怒りを抑えるためにパンを輸入せねばならなかったはずです。そのためには奢侈品購入を差し控えねばならなかった。小麦の増産には時間がかかります。
ルイ16世やマリー・アントワネットにこんな政策判断ができようはずもない。経済政策的な視点がなければできない。老獪な貴族が財政を任されていればわかりそうです。
ランバル侯爵夫人とポリニャク伯爵夫人はマりー・アントワネットから寵愛された
ポリニャック伯爵夫人(Comtesse de Polignac)は、マリー・アントワネットの寵愛を受けながらもフランス革命が始まるとヴェルサイユ宮殿からウィーンに逃げ出しました。
この映画はこの逃亡劇とその背景を描いています。マリー・アントワネットがポリニャック伯爵夫人を愛していたと映画ではなっていますが、これは史実とは言い難いようです。
エブリーヌ・ルヴェの「王妃マリー・アントワネット」(知の再発見双書、原題La dernière reine, par Evelyne Lever, p37)にはポリニャック伯爵夫人の絵が掲載されています。美人です。
マリー・アントワネットの周囲にいた人物に対する多少の知識がないと、この映画はわかりにくい。これは江戸時代や戦国時代を舞台にした日本の映画が外国人にはわかりにくいのと同様です。
この映画を通じて私たちは、フランス革命時の貴族の生活や思考方式を垣間見ることができます。
民衆の現状を把握し、民衆が暴徒と化す前に妥協案を提示するような人物はあまりいなかったのでしょう。
シュテファン・ツヴァイクによればミラボーが「王政と民衆を調停できたかもしれない最後の人物」でした。この時代のフランスの貴族は経済運営、行政や軍事とは無関係だったのでしょうか。
日本の武士のように常時武装し、百姓の反抗にも備えているような人物は当時のフランスには稀有だったのでしょうか。
ナポレオン・ボナパルトのような優秀な軍人がなぜ当時のフランスに存在しえたのか、これをいずれ考えてみたいと思っています。
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