2014年10月19日日曜日

Marion Cotillard主演仏映画「サハラ、熱砂の愛」(原題Le Dernier Vol)を観ました。

映画のテーマは愛のあり方ですが、砂漠の暮らしの厳しさを思い起こさせます。


サハラ砂漠で生活している人々、「砂漠の民」は一体どうやって食べ物、衣料、飲み物を得ているのでしょうか。「砂漠の民」とはどういう人たちなのでしょうか?

水がふんだんにある日本に住む私にとって、「砂漠の民」はほぼ対極にいる方々のように思えます。映画を見ると砂漠の厳しさが体に伝わってきます。

私は何度もうがいをしたくなりました。「砂漠の民」は、うがいなど滅多にできないのでしょうが、その必要をさほど感じない体質を持っているのでしょう。

映画はサハラ砂漠を飛行中に墜落してしまった飛行士ビル・ランカスターをMarion Cotillard演じる恋人がサハラの厳しい自然と闘いながら捜しにいく話です。

この恋人たちの話はフランスでは有名なのでしょう。徐々に愛の現実が明らかになっていきます。主人公を助ける仏軍人の愛のあり方や軍人としての生き方も問われています。

愛しているとは言いながら、心の奥深くに打算や自分を正当化するものはなかったのか。相手の愛の言葉は本心だったのか。これはいつでも問われるテーマなのでしょう。

Mallion Cotillard演じる主人公が砂嵐により顔と頭が砂だらけになってしまうシーンがあります。砂漠では頭をいつでも簡単に覆える服装が必要不可欠でしょう。

私には映画の本筋よりも、サハラ砂漠の厳しさのほうが印象に残りました。音楽は砂漠を旅するラクダの隊商を思い起こさせるようなメロディーです。

サハラ砂漠の砂嵐を耐えながら生活する人々とラクダ


サハラ砂漠の砂嵐は凄まじい。画面から砂が吹いてきそうに思えてしまいます。砂嵐がくるとテントに入っていても体中が砂だらけになってしまいそうです。

サハラ砂漠にはどういうわけか、ハエのような羽虫がかなりいるようで、羽音が時折聞こえてきます。これだけでもかなり苦しい。マラリヤにかかる人もいるのでしょう。

砂漠では昼間と夜は相当温度差があるのでしょう。夜はかなり寒そうです。

サハラ砂漠の所々にオアシスがあり、そこで人々は水分を補給しているのでしょうが、食べ物はどこかから運んでくるのでしょうか。サハラ砂漠で畑作や牧畜は困難でしょう。

インターネットで調べてみると、ナツメヤシをオアシスで栽培しその果実を食べられます。サハラ砂漠では良質の塩が取れるそうです。

牛や羊をオアシス近辺と、砂漠そのものではない地域で飼育しているようです。またラクダの乳や肉も食用になっています。ラクダは砂漠近辺の荒野に生えている植物を食べるそうです。

「砂漠の舟」と言われるラクダの鳴き声が映画のほぼ全体に入っています。

砂漠を彷徨う主人公らは、最後はラクダの生存本能により生き延びます。

現代フランス人は北・西アフリカを領土とした歴史をどのように評価しているのだろうか


ところで、サハラ砂漠以北はフランス領だった地域が多いのですが、なぜ当時のフランスはこの地域に着目したのでしょうか。油田があることが早くからわかったのでしょうか。

アフリカの北部や西部をフランス領とし、住民にフランス語を普及したことは、現代のフランス社会にどんな影響を及ぼしたのでしょうか。

サハラ砂漠を生活圏としている人は、アラブ人だけでなく黒人もいます。種々の部族があるようですが、殆どがイスラム教徒でしょう。

フランス語を流暢に話すイスラム教徒がフランスに住むと、言葉は通じても基督教徒と生活習慣や世界観の違いから様々な衝突を起こしそうに思えます。

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