2014年12月31日水曜日

Albert Camus「侮蔑によって乗り越えられない運命はない」(There is no fate that cannot be surmonted by scorn. Il n'est pas de destin qui ne se surmonte par le mépris.シーシュポスの神話、原題Le mythe de Sisyphe)より思う。

人にはそれぞれの運命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない。If there is a personal fate, there is no higer destiny or at least there is but one which he concludes is inevitable and despicable.


平成26年はもう終わりですね。

皆様の今年はどんな一年だったでしょうか。本ブログを訪れて下さり,有難うございました。

私は今年、若い頃手がけてそのままになっていたことを少しでも前に進めるべく、いくつか挑戦しました。運動では鉄棒(逆上がり)と縄跳びです。

暫く前になりますが、飛び上がるくらいの高さの鉄棒で逆上がりをやってみたら、できました!十数年ぶりです。根性の成果が多少出たようで、気分が良かったです。

縄跳び(普通飛び)をひっかかりながらもほぼ毎日続けています。つい先程も、総計1200回ほどやりました。

毎日は無理ですが、Joggingを続けています。今日は午前中、ゆっくりと時間をかけてですが部屋から芦屋浜沿いにかけて15キロくらい走りました。

勉強では、フランス語を約30年ぶりに学び出し、多少読めるようになりました。フランス語の勉強と関連して、フランス人歌手ZazやFrance Gallの素晴らしさを知りました。

CamusやSaganを少し読み、雑文をブログに載せました。体の鍛錬と自分の勉強をこれからも黙々と続けていきたいと思っています。

人生はもっと偶然というやつが働いている


ふと思い出すのは、今年もいろいろな場で深い教養と人生経験を持った魅力的な方々に沢山お会いしたことです。出会った方々から多くを学びました。

私は昭和36年生まれですから、出会った方々の中には、もう二度とお会いすることのない方もいるのかもしれません。都会に生きている人は誰しもそうなのでしょう。

出会った方々との心の交流、ふれあいは偶然の産物であり、煙のごとく消えてなくなっていくものとみなすべきなのでしょうか。

遠藤周作は「わたしが・棄てた・女」で次のように語っています。

「しかしこの人生で我々人間に偶然でないどんな結びつきがあるのだろう。人生はもっと偶然というやつが働いている。...(中略)

もし、神というものがあるならば、その神はこうしたつまらぬ、ありきたりの日常の偶然によって彼が存在することを、人間にみせたのかもしれない。」(前掲著p25-26、講談社文庫)。

私には神が存在するかどうかわかりませんが、偶然が私たちの人生に大きな役割を果たしているのは間違いないように思えます。

偶然出会う。そしてお互いの人生に様々な影響を及ぼしあい、時が来ればそれぞれの道を選択し二度と会わなくなるという人間関係が現代社会には余りにも多い。

人間関係が煙のごとく消え去るのなら、人は不安になってしまう


全ての人間関係が煙のようになってしまえば、不安になり心を病む人が増えてしまい新たな社会問題の温床となってしまいかねません。

北朝鮮に拉致された日本人の救出に無関心な日本人が多いひとつの要因は、忙しすぎて他人のことなど関係ない、それもこれもすぐに消えていくから無視しようという風潮が広がっているからです。

殆どの政治家、特に自民党の国会議員の多くは票にならないことをやりません。

拉致された日本人のことなど他人のことだから関係ないと多くの人が考えているから、票にならないということを、自民党の国会議員は敏感に感じ取っているのです。

人々の意識動向を感じ取れない人は票を得るような宣伝活動をできないから、選挙に当選できない。小選挙区制度下、殆どの国会議員は次回当選できるかどうかという不安にさらされています。

国民も政治家も他人のことは関係ない、金や票、自分の利益にならないことは無視しようという気分感情に浸ってしまっているのではないでしょうか。これでは人々の心が病んでしまいかねない。

そんな風潮に、私は非力ながら本ブログで抵抗しているつもりです。

経済のグローバル化により競争が激烈になった-人間関係の希薄化、偶然による出会いと別離


現代社会はグローバル経済での厳しい競争に直面していますから、人間関係が希薄になるのは致し方ない面もあります。

お互いにとって不要な関係をいつまでも続けていたら、自分の仕事が疎かになり競争に負けてしまうかもしれないからです。

私と僅かながらでも交流して下さった方々の中には、何かにより絶望的な気分になっている方がいるかもしれません。

そんな方に私は、表題のAlbert Camusの言葉を送りたい。

侮蔑によって乗りこえられない運命はない。ひとにはそれぞれの運命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない。

Camusは、偶然により訪れることになった不幸でも強い意思、あるいは自分への侮蔑で乗り越えることができると訴えていたのでしょう。それがどうした、という気持ちを持てということでしょうか。

無数の人の心に残る言葉を投げかけてくれたCamusは交通事故で急死します。偶然が神のサイコロによるものであるなら、神はどんなサイコロをふったのでしょうか。

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