「(エンゲルスは)生産者間の市場競争を存続させ、生産を自然発生的な発展にまかせてるデューリング式『社会主義』は、コンミューンが資本家にとってかわっただけで、実際には資本主義社会をすべてその欠陥とともに復活させざるをえないことを詳しく論証した」(不破哲三氏の同書p48より抜粋)。
この本を書いた頃、昭和5年生まれの不破哲三氏は35歳くらいです。若き不破氏の才気と、日本革命への熱意がひしひしと感じられる本です。
初めの章は「ユーゴスラビア修正主義批判」と題されています。
市場的社会主義、労働者自主管理社会主義といえばユーゴスラヴィアが先駆的存在でした。
ハンガリーも市場経済を早くから導入していました。
日本共産党を支持するマルクス主義経済学者が、社会主義経済について真剣に考えるのなら、ユーゴスラヴィアやハンガリーの経験に学べ、という話になるはずです。
私が早大の学生だった頃、故関恒義教授(一橋大学)がそんな話をよくされていました。
しかし今の左翼の皆さんはユーゴスラヴィアとハンガリーについて沈黙しています。
ユーゴスラヴィアは民族対立から崩壊。今のハンガリーは、移民排斥を主張する政党が政権についているらしい。
旧ソ連、東欧は悪戦苦闘の末、資本主義経済となりました。
中国は国家独占資本主義と見るべきではないでしょうか。帝国主義そのものです。
若き不破哲三氏の予測は的中したー市場的社会主義は資本主義になる―
従って、エンゲルスの「反デューリング論」を熱心に学んだであろう若き不破哲三氏の予測は、的中したのです。
上記の「コンミューンが資本家にとってかわっただけだ」という指摘は面白い。
これは次のように考えればわかりやすい。
市場経済で労働者の集団がある会社の株式を大量購入し、経営権を握って経営者になったとします。
近年はこれをEBO(Employee Buyout)と言います。
労働者が管理するその企業は勿論、同業他社との厳しい競争に直面しています。
競争に敗北し債務超過になったら、労働者管理企業の株価は暴落します。
経営者だった労働者は辞任し、企業は銀行など債権者の管理下に入り、整理解体されていくでしょう。
それが嫌なら、賃金を切り詰め、競争力を強化する投資を積極的に行い競争に勝ち抜くしかない。
これは今でも、普通の会社がやっていることです。経営者が日本共産党員でも同じです。
労働者が会社の経営者になっても、競争に勝つために利潤本位で会社を経営する
私は本ブログやtwitterで何度か、労働市場と金融資産市場が存在すれば生産手段の社会化(資本主義的搾取の廃止)はできないと述べてきました。
市場経済で財市場、商品市場が存在するのは当然です。
金融資産市場が存在すれば、株式の売買による企業経営権の獲得は可能です。
労働市場が存在すれば経営者は自由に労働者を雇用できます。
この経済は資本主義経済でしかない。宇野派の定義でも、労働力が商品になっている社会は資本主義経済です。
生産手段の社会化、という正統派マルクス主義経済学の中心的主張は、私見では下記です。
ソ連のように生産手段を国家に集中し、経済全体を中央計画経済で運営することによってこそ、「生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾」(エンゲルス)を解消できる。
これは、若き不破哲三氏の同書での主張と殆ど同じです(同書p42)。
各企業を労働者が直接運営しても、各企業は同業他社と競争しているのですから、利潤本位で生産を行うしかない。
EBOですが、十五年くらい前に米国の航空会社が破綻しかけたときこれがなされたと記憶しています。
最近、名前を忘れることが多く、航空会社の名前を思い出せません。
社会主義経済の中央計画と個人の主体的経済行動の矛盾ー誘因両立性―
「生産手段の社会的所有」の困難については、宇沢弘文教授が随分前に指摘しています(「現代資本主義と社会主義―その経済学的考察ー、館龍一郎・小宮隆太郎・宇沢弘文編「中国経済 明日への課題」(東洋経済新報社昭和59年刊行、第一章所収)。
宇沢教授によれば、経済計画によって指示されるものと、各個人の主体的行動様式は必ずしも一致せず矛盾しうる。
誘因両立性(Incentive Compatability)の問題があるという主張です。
これは「契約の経済学」やゲーム理論が発展した今日では常識的な事ですが、35年前に中国経済を観察して誘因両立性の問題を看破した宇沢教授の慧眼に、今更ながら敬服します。
いまだに「生産手段の社会化」や「資本主義的搾取の廃止」に固執している正統派マルクス主義経済学者は、東欧社会主義崩壊後のこの三十数年間、一体何を研究したのでしょうか。
示唆多い内容で、勉強になります。ご意見に賛同します。
返信削除この中に出てくる故関恒義氏は、マルクス主義を救うために、「マルクスは”市場社会主義”を認めていた」などと主張し、中野徹三氏に批判されています(中野徹三『社会主義像の転回』三一書房1995年)。関恒義氏は「近代経済学の活用」を説かれ、マルクス経済学者のなかでは近代経済学を理解する数少ない学者のひとりでしたが、マルクス主義の救済の必要性のために「事実を歪曲」するという「失態」を演じてしまいました。氏の弟子である盛田常夫氏(ハンガリー経済の専門家)はこれをどう思っているでしょうか。