2019年12月31日火曜日

イスラム教の聖戦論より思う―難民、移民受け入れは徹底的に制限されるべきだ―

「(四か月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。ひっとらえ、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せよ。しかし、もし彼らが改悛し、礼拝の務めを果たし、喜捨も喜んで出すようなら、そのときは逃がしてやるがよい」(「コーラン」(上)井筒俊彦訳、岩波文庫p301より抜粋)。


世界各地で、イスラム教徒によるテロが起きています。

私はイスラム教の専門家ではありえませんが、この原因はイスラム教の教義のどこかにあるとしか思えない。

コーランに、上記があります。

これが異教徒、多神教徒に対する聖戦という考え方の根拠になっているのでしょう。

ホルムズ海峡を航行する日本船舶を攻撃したテロリストは、上記の考え方を実行しているのかもしれません。

日本人は多神教徒ですから。

勿論、全てのイスラム教徒が上記を字義通り解釈しているのではないでしょう。

コーランの読み方、解釈はいろいろあるのでしょうから。

しかしコーランには次もあります。

無信仰者たちにたたかいを


「これ、信徒の者よ。汝らの身近にいる無信仰者たちに戦いを挑みかけよ。彼らにおそろしく手ごわい相手だと思い知らせてやるがよい」(「コーラン」(上)p328」。

欧州各国にはイスラム教徒が大量流入し、社会的衝突が深刻化しています。

キリスト教徒は、多神教徒ではありませんが、イスラム教徒にとっては無信仰者です。

欧州に定着、定住しているイスラム教徒の中には、無信仰者に戦いを挑んでいく方が出てもおかしくない。

既に相当数出ているのかもしれませんが。

戦いを挑む、という語をどのように解釈するかという問題でしょう。この記述も、聖戦を呼び掛けていると私には思えます。

難民、移民の受け入れは徹底的に制限されるべきだ


背景とする宗教、文化、習慣が全く異なる人々を安易に移民、難民として受け入れても、働き口を見つけるのは簡単ではないことは明らかです。

働き口を見つけらなければ、自治体による生活保護を受けるしかない。自治体の負担になっていきます。

私見では、米国でトランプ氏が当選した理由の一つは、この点を強く訴えたからです。

中南米から不法入国する人々を次から次へと受け入れていけば、国境近くの州の財政が破綻してしまう。

有権者の世論掌握術に秀でたトランプ氏は、今後もこれを訴えるでしょう。欧州各国でも、同様の主張をする政治家は増えています。

これをポピュリスト(大衆迎合主義者)などと一言で退ける左翼知識人は、欧米社会の実状について真剣に思考できない方々です。

こういう方々には偽善者、という語がふさわしい。難民、移民を受け入れるなら相当な費用と社会的衝突を覚悟せねばならない。

左翼知識人、左翼政治家は難民、移民大量受け入れによる費用と社会的衝突について一切議論しません。

在留資格のない外国人が強制送還を拒否して、入庫管理局の施設に長期収容されている例があるようですが、在留資格を安易に与えるべきではない。

在留資格が得られない事にはそれぞれ理由があるのです。

外国人が入国管理局による強制送還に応じないのなら、しかるべき刑事罰を与えて逮捕する事を検討すべきです。

日本共産党、立憲民主党ら野党は桜の見物方式で大騒ぎしている暇があるのなら、難民、移民の受け入れ是非について少しは論じるべきです。


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