若い頃に抱いた世界観、社会観から脱却する人もいますが、それに固執し続ける人もいます。
若い頃の世界観、社会観は非現実的だ、世の中はそんなようにはできていないと何かの拍子に気づき、部分的に修正する方もいます。
私見では、宮本顕治さんはそんな方でした。宮本顕治さんは若い頃からソ連を盲信していました。
ソ連盲信は、昭和36年7月の第八回大会でも続いていました。宮本顕治さんによれば、ソ連は共産主義社会の建設に成功しつつあるそうです。
宮本さんはこの後、ソ連盲信を少しずつ改め、ソ連共産党を批判するようになります。
それでもソ連が社会主義国であり、生産手段が社会化され搾取がなくなったという類の宣伝を信奉していました。
ソ連が崩壊する少し前の第18大会でも、宮本さんはソ連宣伝を続けています。
社会民主主義者はブルジョアジーの買収された代理人(27年テーゼ)、革命運動にとっての主要な危険(32年テーゼ)である、と若い頃の宮本顕治さんは信じていました。
社会党の江田三郎さんも、第七回、第八回大会の頃に春日庄次郎さんが提起した構造改革論を採用していました。
宮本さんは支配階級と同じだから徹底批判せねばならない、と考えたのではないでしょうか。
松竹伸幸さんは、御自身が民青同盟幹部だった時期に宮本顕治さんの指導により、社会主義青年同盟(社会党の青年団体)に対して行った批判はおかしかったと語っています。
これは私見では、宮本さんが27年、32年テーゼの発想で社会党を把握していたからです。
27年テーゼ、32年テーゼ全文を宮本顕治さんが信奉していたわけではない。しかしその中にある発想、人物や集団に関する見方を宮本さんは保持し続けていたのです。
今の日本共産党員が中国共産党、朝鮮労働党とロシアを礼賛しているわけではないですが、日米安保反対、アジアから米軍は出ていけと主張していることから、大局的には平和勢力と見ていると考えられます。
一昔前の日本共産党は、社会主義国は平和勢力と断言して宣伝していました。この発想の延長で、今の日本共産党員は中朝露を把握していると考えられます。
若い頃抱いた世界観、社会観を部分的には修正しても、脱却できない方は多い。
在日本朝鮮人総連合会の所業に疑問を持ちつつも、金日成を今でも敬愛している方は少なくない。日本共産党と在日本朝鮮人総連合会は似ていますね。
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