2020年3月22日日曜日

日本共産党はソ連共産党崩壊の4年前でも、日ソ両党関係のいっそうの発展を望んでいたー論考「日ソ両党関係を素描する 十月革命七十周年にあたって」(「赤旗」昭和62年10月22日掲載)

「いまここで、干渉と論争の二十年を簡潔にふりかえるのは、もちろん両党関係のいっそうの発展を望む観点からである」(同論文の三、干渉、断絶、論争の二十年より抜粋)。


日本共産党は平成3年(1991年)のソ連共産党解体の際、歴史的巨悪の党の解体を歓迎する、という声明を出しました。

ソ連覇権主義と生死をかけた戦いを行ってきた党として、ソ連共産党解体は大歓迎だったそうです。

しかしソ連崩壊の約四年前に日本共産党は、上記論文でソ連共産党との一層の発展を望むと明言しています。

同論文は最後に、六十五年間の日ソ両党関係のうち、主要な部分は友好と協力の関係であると断言しています。

ソ連共産党は解体してしまえ、などという話は同論文にはありません。

日本共産党は、手のひらを返す、という言葉にぴったりの言動をする政党です。

かつて資金と理論の両方で指導してくれた先輩たちが、落ちぶれると歓迎するのですから。

32年テーゼを主に作ったのはクーシネンというソ連共産党幹部です。

昔の自民党には、総裁選や人事の抗争に敗れた派閥の長に見切りをつけ、他の派閥に流れていった方は少なくなかった。

同じような事が、共産主義者にもあるのは当たり前でしょうね。

日ソ両党関係の六十五年間の主要な部分は友好と協力だった


ともあれ、日ソ両党関係の六十五年の主要な部分は友好と協力だったのなら、ソ連共産党解体、ソ連崩壊は日本共産党、特に宮本顕治氏にとって痛恨の極みだったはずです。

ソ連覇権主義との生死をかけたたたかい、とやらは六十五年間の両党関係の中で些末な部分だったことになります。

第八回大会(昭和36年7月)当時の宮本顕治氏と日本共産党なら、ソ連崩壊万歳など反革命そのものです。

今の日本共産党のソ連、中国論は、第八回大会の視点で見れば反革命分子の反共攻撃であることを付言しておきます。

論考「日ソ両党関係を素描する」を知っている若い日本共産党議員、職員は稀でしょうね。

志位和夫委員長、小池晃書記局長には日本共産党職員に対する指揮・命令権はない


宮地健一さんとの裁判で日本共産党は、職員と雇用関係にないと明言しました。

裁判で日本共産党職員は、日本共産党と有償委任契約の関係にあると認定されました。

そんなわけで、日本共産党職員は全員、フリーランスの革命家であることが明らかになりました。

フリーランスの革命家に、日本共産党の昔の論文を読みなさい、という指揮、命令を志位和夫委員長、小池晃書記局長は出すべきでありません。

赤旗の読者をもっと増やせ、という指令も出すべきではない。

有償委任契約の方々に、契約している側が指揮、命令を出しているなら、契約に違反する疑いがあることを指摘しておきます。




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