搾取制度を廃止したら会社はどうなるのか
搾取制度の廃止とは一体どんな企業経営方式を意味しているのでしょうか。
日本共産党は搾取制度の廃止とは生産手段を社会化する事だと主張します。
生産手段を社会化すると、株式会社はどうなるのか。わが社はどうなるのか、という話です。
株主は働かずに配当所得を得るから、株式会社が存在すれば搾取制度は存続する。
本ブログやtwitterで私は繰り返しこのように主張してきました。
この件で、何らかの解答や反論をした日本共産党員は一人もいません。
わが社はどうなるのか、という程度の疑問に、日本共産党と同党を支援する知識人は解答できないのです。
日本共産党員とマルクス主義経済学者が搾取制度の廃止について考えなくなった
日本共産党員と同党を支持するマルクス主義経済学者は、搾取制度の廃止と企業経営方式の関係について思考と議論をすることを嫌がります。
日本共産党を支持するマルクス主義経済学者は、レーニンの著作を読んでこの問題を考えるのも嫌なのかもしれません。
日本革命など、ありえませんね。
一般に、誰かがある制度を導入したい、制度改革をしたいというなら、その制度を導入、改革をすると今とどう変わるのかを、簡単にでも説明せねばならない。
制度導入後の下絵を提示しなければ、賛同者を増やせません。
日本共産党員はそれができない。搾取制度廃止後の制度の簡単な下絵すら提示できないのですから。
レーニンは投機を資本主義と考えた
搾取制度を廃止する企業運営、財の生産と配分とは一体何なのか。
レーニンとボリシェヴィキはこの問題に直面し、戦時共産主義と称する穀物の徴発策を実行しました。
レーニンは農民が余剰穀物を保有しておくことを投機、資本主義と考えたのです(「青年同盟の任務」)。
自家消費以外の余剰穀物を隠す農民に富農というレッテルを貼り、弾圧しました。株式会社廃止は当然です。
相当数の地主、貴族が財産を没収され、追放されました。ロシア正教会も徹底弾圧されました。
処刑された高位聖職者は少なくありません。ロシア皇帝一家は虐殺されました。
レーニンとボリシェヴィキによる資本家の金融資産収奪、赤色テロルについては、森岡真史教授の「レーニンと『収奪者の収奪』」(上島武・村岡到編「レーニン 革命ロシアの光と影」第二章所収、社会評論社2005年刊行)が大変参考になります。
1918年頃から相当数の餓死者、流民が出たと思われます。1990年代後半の北朝鮮のような状況になったのです。
ソ連経済は破綻し、闇経済化が進行したー90年代後半の北朝鮮と同様
ボリシェヴィキがどれだけ富農弾圧を強めても、穀物の闇流通が無くなったとは思えません。
1990年代後半の北朝鮮と同様です。
ロシア革命の頃のペトログラード社会については、長谷川毅「ロシア革命下 ペトログラードの市民生活」(中公新書)がわかりやすい。
この本によれば、1917年の2月革命以降、ペトログラードの社会秩序は崩壊し、ペトログラードは犯罪都市になりました。
賭博が蔓延し、上流階級から下層階級まで麻薬の使用が流行しました。これも北朝鮮と同じです。
ネップ(新経済政策)は闇経済化の追認策
こんな状況だったのですから、レーニンによるネップへの転換は闇経済化の現状追認策と考えられます。
レーニンは「食糧税について」を1921年4月21日に書いています。
ネップの中心は、「戦時共産主義」という穀物の割当徴発をやめ、食糧税に変えて余った農産物を農民が自由に処分できるようにする事です。
これは農民による商売を認める事になります。
レーニンはこの論文で商業の自由は資本主義であり、資本主義は投機であると断言しています。
搾取制度の廃止など夢物語と、レーニンは最晩年に察知したのかもしれません。
レーニンは潜在的批判者を用心のために、監獄に入れるか国外追放せよと主張
レーニンはこの論文で商業を行う農民が国家的な統制、監督、記帳を回避したら罰せよと述べています。
またレーニンは、クロンシュタット反乱(1921年3月)に同調する人々はメンシュェヴィキやエス・エル(社会革命党)に他ならないから、用心のために監獄に入れるか国外追放にせよと述べています。
商業への国家的統制、監督、記帳を担当するのは中央計画機構と大差ありません。
ボリシェヴィキに反抗しうる人たちを用心のために監獄に入れておけという考え方を、スターリンとボリシェヴィキはしっかり継承しました。
中国共産党による香港民主派弾圧手法もレーニンのこの発想を継承しています。
レーニンとボリシェヴィキによる搾取制度の廃止、生産手段の社会化は結局、反対派弾圧策に帰着したのです。
スターリンはレーニンの愛弟子ですね。改めて思います。
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