五十年ほど前の日本共産党は「70年代の遅くない時期に民主連合政府をつくろう」と訴えていました。
この本から、その頃の日本共産党の理論と政策がよくわかります。p226に次の記述があります。
アジアでただ一つのこった国交未回復の社会主義国である朝鮮民主主義人民共和国と国交を樹立し、平等・互恵の経済・文化交流、日朝両国民の友好関係の発展をはかる。
朴政権を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」とした「日韓条約」を廃棄する。
南朝鮮からの全米軍撤退を要求し、朝鮮人民自身による自主的・平和的統一を支持する。
朝鮮に関する不当な国連決議の廃棄を要求し、朝鮮問題討議のための国連総会への朝鮮民主主義人民共和国代表の無条件招請を支持する。
在日朝鮮人の生活、教育、権利を保障し、自由な帰国を援助する。
この頃の日本共産党は、北朝鮮を社会主義国と認識し、朝鮮労働党と友好関係を維持していました。
日本共産党は朝鮮労働党が朝鮮半島を統一することを支持し、日韓条約廃棄を叫んでいたのです。
昭和41年に日朝両党は共同声明を出しています。
萩原遼さんは朝鮮労働党による凄惨な人権抑圧を日本共産党中央に報告
赤旗の平壌特派員だった故萩原遼さんが平壌から事実上追放されたのは、昭和48年4月17日です。萩原さんは昭和47年5月23日に平壌に到着しています。
赤旗の平壌特派員としては、三人目でした。
萩原さんは平壌滞在中に、朝鮮労働党による凄惨な人権抑圧の実態を垣間見することができました。萩原さんはそれを帰国後、日本共産党中央に詳細に報告したと伺います。
著書「ソウルと平壌」(文春文庫)に出ているような報告を、日本共産党中央の担当者になさったのでしょう。
「ソウルと平壌」の「北から」の章で萩原さんは、監視人に「崔承喜はいまどうしてますか」と聞いた時のことを書いています(文庫版p189)。
崔承喜は、半島の舞姫として著名な方でした。戦後、夫と共に北朝鮮に渡り活躍していたのですが、萩原さんが平壌に滞在したころには動向が伝えられなくなっていました。
監視人は萩原さんの質問に、「それを何のために聞くのか」と反問してきたそうです。誰に彼女の消息を確かめろと指示されたのか、と問い詰めてきたそうです。
後に萩原さんは、崔承喜が昭和42年頃、金日成に弾圧され行方不明になったことを突き止めました。これはおそらく、日本に戻ってからでしょう。
萩原さんが平壌で住んでいた宿舎で、昭和42年9月にベネズエラ共産党員で詩人のアリ・ラメダが公安に連行されたそうです。
萩原さんはこれを、当時の赤旗平壌特派員から聞いたのでしょう。萩原さんは後に、アリ・ラメダが7年間、収容所に連行、抑留されたことを知ります。
フランス共産党員の仲間との会話で、北朝鮮の政治に疑問を投げかけたことが当局の知るところになったのです。仲間との会話が盗聴されていた。
萩原さんがアリ・ラメダの件を詳しく知ることになったのは平壌を離れて、アムネスティの報告書を知ってからでしょう。
収容所の件まで、日本への帰国直後に報告はしていないでしょう。
しかし日本人妻が全く里帰りなどできていないこと、相当数の帰国者(元在日朝鮮人)が行方不明になっていることを日本共産党中央はこの頃には熟知しています。
少なくない在日朝鮮人が、北朝鮮に帰国した親族が消息不明になっていることを仲間の日本共産党員に知らせていたのですから。それは当時の日本共産党中央にも届いていました。
昭和30年まで、在日の共産主義者は日本共産党員でした。日本共産党と在日本朝鮮人総連合会は、親しい関係を維持していました。
朝鮮労働党による凄惨な実態を承知していても日本共産党は、在日朝鮮人の自由な帰国を援助すると明言していたのです。
「自由な帰国」という表現ですが、昭和47年4月に在日本朝鮮人総連合会は約200人の朝大生を金日成の贈り物として献上しています。
在日本朝鮮人総連合会と友好関係を長年維持してきた日本共産党がこれを知らないはずがない。
人間の贈り物、にはいくらなんでも協力できないが自由意思で北朝鮮に行くなら援助しますよと言う話なのでしょうね。
日本共産党中央には、北朝鮮の凄惨な実態を在日朝鮮人に知らせようという発想はできなかった。
朝鮮労働党と日本共産党が友好関係を維持していたからです。
民主連合政府ができていたら日韓関係は破滅、日米安保廃棄なら人民解放軍が日本に侵攻
民主連合政府ができたら、日韓条約は破棄され、日韓関係は破滅していたでしょう。
奇妙な話ですが、五十年ほど前の日本共産党の日韓関係、日朝関係に関する主張は、今の嫌韓論者の方々の主張と酷似しています。
日韓条約廃棄なら日韓断交です。
在日朝鮮人の自由な帰国、に嫌韓論者の方々は全面協力するでしょう。
日本共産党は元祖嫌韓論者です。日韓が断交していたら、韓国の流行歌手が日本に来るのは困難だったでしょうね。
在韓米軍撤退が実現していたら、朝鮮労働党が朝鮮半島を統一し、大韓民国は消滅していた可能性があります。
日本共産党の平和理論なら、社会主義朝鮮による朝鮮半島統一は社会進歩、歴史の法則的発展です。
万が一、昭和42年頃に民主連合政府が実現し、日米安保廃棄、日韓条約廃棄が実現していたら在韓米軍も撤退していたかもしれません。
その時には、朝鮮人民軍は韓国に、中国の人民解放軍が日本に侵攻していた可能性が高い。
毛沢東と四人組なら、人民解放軍に日本侵攻指令を出したでしょうね。
昔も今も、日本共産党と左翼は中国共産党、朝鮮労働党を大局的には平和勢力と把握する。平和勢力の日本侵攻、など想像もできないのでしょう。
崔承喜はなぜか「復権」ー金正日が許可したのか
ところで、崔承喜はなぜか、十一年くらい前に北朝鮮で「復権」しています。平壌にお墓があるようです。
朝鮮中央放送でそれが放映され、私はインターネットで見ました。金正日が崔承喜の再評価を許可したのでしょう。
なぜ復権されたのかはわからない。崔承喜がなぜ行方不明になってしまったのかも、はっきりしません。
友人に不平不満を漏らせば盗聴され、収容所送りになるのが北朝鮮ですから。
不破さんの提言は朝鮮労働党に無視された
不破哲三さんは北朝鮮、朝鮮労働党の実態を承知しつつ、首領に絶対性、無条件性の忠誠を誓う在日本朝鮮人総連合会と交流を再開しました。
不破さんが16年前に在日本朝鮮人総連合会に出した六項目の提言とやらは、朝鮮労働党に無視されました。これは、萩原遼さんが予見した通りです。
そもそも、不破さんの提言が朝鮮労働党に伝えられたかどうかも不明です。
日朝関係の打開めざして提言│朝鮮半島・不審船問題│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会 (jcp.or.jp)
大金を寄付できない人の話など、朝鮮労働党がきくはずがないのです。朝鮮労働党は数億円出しても、平壌に行って記念写真撮影を許可する程度の扱いしかしません。
朝鮮商工人はそのように扱われてきました。
在日本朝鮮人総連合会関係者や脱北者から沢山のインタビュー調査を行ってきた萩原さんは、不破さんの提言など相手にされないと簡単に予見できたのです。
不破さんの提言がどう扱われようと、大山奈々子神奈川県議は、朝鮮学校への無償化適用を断固主張しています。
大山奈々子神奈川県議は、朝鮮労働党による蛮行の歴史に一切関心がないようです。朝鮮労働党を平和勢力と信じて疑わないのでしょうね。
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