この本を、私は四十年ぐらい前に購入しました。
この本のカバーにある紹介によれば、Giuseppe Boffaはイタリア共産党の機関紙「ウニタ」の記者でした。
この本のp191-199に、新経済政策(New Economic Policy)の時代のソ連史が記されています。
不破哲三さんら日本共産党員は、この時期のソ連で社会主義への真剣な探求がなされたと高く評価しています。
新経済政策が始まった1921年、ウラルなどで大飢饉
ボッファによれば、新政策は1921年の春から夏にかけて行われました。
ロシア平原の定期的旱魃により、ヴォルガ河沿岸とウラルの広大な地域、北カフカース、ウクライナ、クリミアの一部が破滅的な飢えにあえぐことになりました。
2300万の人口を擁する22の県が絶望的な飢えに苦しめられました。
難民の群れが飢饉地帯を脱出しようとしました。
内戦の影響もあり、浮浪児がいたるところにあふれました。1922年には浮浪児の数は550万人に及びました。
絶望的な状況は1922年夏まで続きました。小泉信三教授は、どこかでこの大飢饉について情報を得たのでしょう。
この夏の収穫が良好だったので、農村は徐々に平穏になり、政権は一息つけました。
ネップのもう一つの顔は弾圧でした。ソヴェト・ロシアにおける単一政党の存在が承認されたのはこの時期です。
ほかの政治勢力の残存者は、他国への移住や、追放の強制がなされました。国内に居残って宣伝、扇動を続けるものは逮捕されました。
左翼人士はボリシェヴィキによるロシア正教会弾圧をどう評価するのか
1922年には、ボリシェヴィキとロシア正教会の対立が激化しました。
宗教関係施設から金銀財宝を没収し、外国から入手する穀物とそれを交換するというボリシェヴィキの決定が原因でした。
これに抵抗する聖職者は弾圧され、信徒の農民との衝突も引き起こしたとボッファは述べています。
ボリシェヴィキによるロシア正教会弾圧については、森安達也「神々の力と非力」(平凡社平成6年刊行)が詳しいので、簡単に紹介します。
この本によれば、1921年にヴォルガ川流域で起きた旱魃により、深刻な飢饉が生じました。穀物の徴用をめぐって農民との間で流血の惨事が繰り返されました。
政府は布告を出して、教会の聖器物の徴用を始めました。ロシア正教会のチーホン総主教はこれを激しく非難。
徴発隊と市民の間で1400件以上の流血の惨事が起きました。聖器物徴用を妨害した聖職者や信者は逮捕され、裁判にかけられました。
ペトログラード府主教のベニヤミンは1922年秋に銃殺されました。総主教チーホンは逮捕され、1922年5月にモスクワ郊外の修道院に禁固されました(後に釈放)。
まさかと思いますが不破哲三さんら日本共産党員は、ロシア正教会弾圧も社会主義への真剣な探求と評価しているのでしょうか。
教会の聖器物を徴用したら、聖職者と信徒が激しく反発するのは当たり前です。
日本共産党員の皆さんは、革命運動のためには宗教弾圧も必要とお考えなのでしょうか。
この件について文献を調べていくと厄介だから黙っておこう、という判断をしている左翼人士が多そうです。
新経済政策の時期に共産党と国家が一体化
ボッファによれば1922年2月、チェカーはゲ・ペ・ウすなわち内務人民委員会の一部局に改組されました。
共産党と国家の一体化が進展し、共産党政治局が国の真の指導機関になりました。
1922年3月22日から4月2日に行われた共産党第十一回大会の後、スターリンが書記長になりました。
新経済政策の時代に起きたことはこれだけではありませんが、飢饉の後に限られた範囲ですが市場経済化がなされ、経済が安定化したことは間違いない。
市場経済化と宗教弾圧、共産党と国家の一体化が社会主義への真剣な探求、とは変な話ですが、日本共産党員と左翼人士には素晴らしい時代に思えるようです。
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