「内容もわからないものにサインするのは絶対に嫌だと言ったが、結局、金額も何も記していない紙にサインをして渡してしまった。西岡さんは、‘‘このことは言わないほうがいい”と言っていた」(「週刊新潮」2006年10月12日記事より抜粋)
人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残す、と遠藤周作は説いています(「わたしが・棄てた・女」講談社文庫p254)。
残念ですが、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)のどなたかは、安明進氏の人生をほんの僅かだけ横切り、どうしても消すことができないような痕跡を残してしまったような気がしてなりません。
上の文章は、「『救う会』を特捜部に告発する『告発テープ』」(週刊新潮2006年10月12日記事)よりの抜粋です。「救う会」は「週刊現代」記事とともに、これらを全面否定しています。
「救う会」の反論には何の説得力もない
私見では、「救う会」の反論には説得力がありません。通常週刊誌記者は、インタビューをする際、録音をとります。
インタビュー記事を記者の想像のみで書いたら、記事の中に誰かを非難する内容が含まれていて名誉棄損で訴えられたとき、確実に敗訴してしまいます。
そうなったら、記事を書いた記者だけでなく、編集長まで懲戒処分になりうるのです。
そんな危険を冒してまで、「週刊新潮」「週刊現代」編集部が「救う会」を非難する記事を掲載したとはきわめて考えにくい。
そう考えると、「西岡さんは、”このことは言わないほうがいい”と言っていた」という安明進氏の言葉とされる部分が、妙に現実性を帯びてくるように感じられます。
日本で一時的に寵児となった安明進氏-「救う会」の誰がどんな権限と目的で安氏の日本居住を助けたのか
私の悪行、日本人の悪行」(「週刊現代」2007年12月22,29日号掲載記事)で安明進氏は次のように語っています。
「2002年に小泉純一郎元首相が初訪朝して拉致問題が日本で沸騰してからというもの、特殊工作員出身の私は日本で寵児になりました」
「当初は私が日本のマスコミに出る際のギャラは、ほとんど救う会が受け取っていました。
救う会側に頼まれて白紙の領収書にサインしたことも何度もありましたし、救う会の関係者から『安明進の名前を使って冷麺屋を出そう』と誘われたこともあります」
ギャラはほとんど救う会側が受け取っていたなら、「救う会」は安明進氏の住居の準備、援助をしていたのではないでしょうか。
どこかのマンションの一室を安明進氏の部屋として、「救う会」が賃借していたのかもしれません。
記事より、安明進氏が日本に住むようになったのは2003年頃ではないかと推測できます。2006年末まで、4年近く安明進氏は日本とソウルを頻繁に往来していたのでしょう。
「救う会」の役員だった黒坂真は、安明進氏の日本居住など一切知らなかった
2003年なら、私は「救う会」の役員だったのですが、安明進氏が日本に住んでいるなどという話は一切聞いていません。
一体、「救う会」のどなたが、どんな権限で安明進氏を日本に呼んだのでしょうか。
日本の「寵児」になったといっても、長続きが困難であることは多少の見識のある人ならすぐにわかります。
韓国ガス公社を辞めて、その後数十年間も日本でどうやって生活していくというのでしょうか。
数十年間「寵児」でいられるはずがない―「救う会」のどなたかは、安明進氏の今後をどう考えていたのか―
安明進氏が日本に住むことを助けた「救う会」のどなたかは、安明進氏の今後の人生をどう考えていたのでしょう。
数十年、安明進氏は日本で「寵児」でいられると、「救う会」のどなたかは思っていたのでしょうか。
無理と判断したから、冷麵屋で食っていけば良いという判断だったのでしょうか。白紙の領収書にサインさせて、それをどう使おうとしたのでしょう。
まさか、「情報収集費」の領収書ではないでしょうね。
西岡力東京基督教大教授なら、安明進氏日本居住の経緯についてよく御存知では
佐藤勝巳元会長亡き今、安明進氏を「救う会」の誰が、どんな目的と見込みで日本に呼んだのかを最もよく御存知なのは、私見では西岡力東京基督教大教授(「救う会」現会長)です。
「週刊現代」「週刊新潮」の記事から考えれば、「救う会」は日本の事情をよく知らず戸惑っている脱北者を丸め込んで白紙の領収書にサインさせるような悪質団体です。
そんな不名誉なことを連想させる記事が掲載されたのに、「救う会」はなぜ「週刊現代」「週刊新潮」編集部を名誉棄損や誣告罪で訴えなかったのでしょうか。
「週刊新潮」では、西岡力東京基督教大教授のお名前がでていることにも注目されたい。
「救う会」には公開された運動方針のほかに、「裏方針」がある
「救う会」には役員でも知らされない「裏方針」があることが、安明進氏の日本居住の件でも明らかです。
当時「救う会」の役員だった私は安明進氏の日本居住を一切知りませんでしたから。
察するにこの件は、島田洋一福井県立大教授(「救う会」現副会長)も御存知ないのではないでしょうか。
西岡力東京基督教大教授(「救う会」現会長)、平田隆太郎事務局長には「救う会」の誰が、どんな権限と目的で安明進氏の日本居住を助けたのかを公表していただきたい。
脱北者の人生を横切り、消すことのできぬ痕跡を残したのは誰だ
ところで、安明進氏は今、どうしているのでしょうか。「週刊現代」記事では、ソウルで代行運転手などをしているとあります。
韓国ガス公社を辞めて日本に行ってしまったことを、安明進氏は今、どう考えているのでしょう。
私には、安明進氏の人生にとって随分高価な日本居住となってしまったのでは、と思えてならないのです。
日本の事情をよく知らない脱北者を、「救う会」のどなたかが甘言で連れてきて一時的に寵児とし、
マスコミで取り上げられなくなってしまったら後は野となれ山となれでソウルに帰してしまったということでしたら、あまりにも無責任ではないでしょうか。
献身した基督教徒が「救う会」役員にいらっしゃるなら、安明進氏の今後の人生について真剣に考えていただきたいものです。
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