2022年4月3日日曜日

若い日本共産党員は、昔の日本共産党(国際共産党日本支部)について何も知らないーたつみコータローさんの呟きより思うー

 日本共産党本部のHPには、宮本顕治さんが主導した時期の大会決定や重要文献が掲載されていません。

探しましたが、以下しか出てきませんでした。党大会・中央委員会総会|党紹介│日本共産党中央委員会 (jcp.or.jp) 

志位さんは、昔の大会決定や重要文献、例えば宮本顕治さんの「日本革命の展望」、岡本博之・小林栄三「科学的社会主義」(新日本出版社)、32年テーゼなどを内緒にしたいのでしょう。

第八回大会での宮本顕治さんの報告や昔の論文を、若い日本共産党員が読んだら面倒なことになりますから。

宮本顕治さんによれば、ソ連は世界平和の砦です。




この論文が掲載されている昭和34年5月の「前衛」など、大きな図書館に行かなければ入手困難です。

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめたと、当時の日本共産党員は大まじめに友人に語っていたのでしょうね。

たつみコータローさんは32年テーゼを御存知ですか

若い日本共産党議員、職員のtwitterを散見すると、この方々は昔の日本共産党の文献を一切読んでいないのではないか、と感じます。

たつみコータローさんの次の呟きはその一例です。


たつみコータローさんは、日本共産党がソ連のいいなりにならなかったから、ソ連は日本共産党内のスパイを通じて工作を行ったと述べています。

スパイという語を外国の政府から資金を受け取って、外国の政府の指令に従って行動する方々と定義するなら、昔の日本共産党、国際共産党日本支部はスパイの集団でした。

昔の日本共産党員はソ連のスパイ、工作員の集団ということになります。全員が直接、ソ連共産党から資金を受け取っていたわけではありませんが。

この意味なら徳田球一さん、野坂参三さんは勿論スパイですが、小林多喜二さんや野呂栄太郎さん、宮本顕治さん、蔵原惟人さんも同様にスパイでした。

最近の日本共産党が大宣伝している、伊藤千代子さんもスパイだったことになりますよ。

昔の日本共産党(国際共産党日本支部)はソ連共産党を盲信していた

昔の日本共産党、国際共産党日本支部の皆さんは、ソ連製の革命理論を信奉していましたから、ソ連の指令を忠実に実行する事こそ、平和と民主主義を守ると本気で思い込んでいました。

スターリンの側近だったオットー・クーシネンが中心になって作った32年テーゼを、いまだに日本共産党は高く評価しています。


労働者と農民が武装してプロレタリア赤衛軍を結成し、内乱を起こして議会を解散させ、労働者農民兵士ソビエト結成。物騒なことこの上ない話です。

宮本顕治さんなら、戦後の訪ソ時にクーシネンと会っていそうです。クーシネンはスターリンの死後も、スースロフの上司のような立場にいたはずです。

伊藤千代子さんが立派な共産主義者なら、指導部だった徳田球一さんは偉大な人物のはずだ

伊藤千代子さんは、32年テーゼではなく27年テーゼの時期に活動していました。御本人のところに、27年テーゼが届いていたかどうか、わかりません。

ニコライ・ブハーリンが中心になって27年テーゼを作ったようです。伊藤千代子さんら当時の日本共産党員は、スターリンやブハーリンを心から尊敬していたでしょうね。

この時期にソ連で文学を勉強し、日本に戻ってプロレタリア文学運動の指導者となった蔵原惟人さんを、小林多喜二さんは尊敬していました。

党生活者、の中に蔵原惟人さんと思われる人物が出てきます。

伊藤千代子さんが素晴らしい共産主義者だったというなら、この時期に日本共産党の指導者の一人だった徳田球一さんは本当に素晴らしい方だったという話になりませんか。

徳田球一さんはこの時期、労農党から選挙に出ています。山本宣治さんは当選できましたが、徳田球一さんは落選しました。

同じ時期に同様の事をやったのに、山本宣治さん、伊藤千代子さんは素晴らしい方だったが徳田球一さん、野坂参三さんはスパイで駄目な人間だったという評価は変ですよ。

たつみコータローさん、いかがですか。



0 件のコメント:

コメントを投稿