暴力団が右翼を別働隊として使うことは可能ですし、現に暴力団がこうした「分身の術」を使ってターゲットとする企業や個人を困惑させ、その後、自ら登場して騒ぎを丸く収め、礼金をせしめるマッチポンプも行われています(同書p124)。
右翼団体の運営にはかなりの資金が必要でしょうね。
最近はあまり見かけなくなりましたが、街頭宣伝車は一台数百万円くらいはするのではないでしょうか。
街頭宣伝車を運転する人、演説する人などの人件費とガソリン代など車の維持費がかかります。右翼団体に所属する方が専任であるなら、一人で数百万円の人件費がかかるはずです。
右翼団体の中にはそうした資金を、篤志家からの寄付金に依拠している場合もあるでしょうが、溝口敦氏によれば、右翼の大半は暴力団系、暴力団のひも付きです(同書124)。
「暴力団系」「ひも付き」という表現はやや抽象的です。
設立時に暴力団から資金提供を受けて出発し、その後も暴力団と密接に連携しながら諸活動に取り組んでいる右翼団体があるのでしょう。
諸活動とは例えば何か。溝口氏は次の件を例としてあげています。
右翼が何らかの理屈で企業や個人を攻撃する。困惑した企業や個人は、暴力団に助けを求めて騒ぎを丸く収めてもらう。
右翼の街頭宣伝中止代とメンツ代、調停者への礼金を合わせて支払わねばならないそうです。相場はたぶん1000万円以上になると溝口氏は述べています(同書p125)。
暴力団は揉め事、トラブルに介入、「調停」して資金を得る
洋の東西を問わず、暴力団は揉め事、トラブルに介入、「調停」して資金を得る事が多いようです。
山口組5代目若頭、宅見勝宅見組組長を射殺したグループの一人だった中保喜代春は、著書「ヒットマン 獄中の父からいとしいわが子へ」(講談社文庫、p168)で次のように述べています。
「それはトラブルこそ、やくざにとって飯のタネということです。トラブルがあるからこそ仕事が生まれ、その仕事をこなすことによって顔と名前が売れます。
さらに、その過程で極道としての対応能力やプライドが磨かれ、金も力も手中にすることができるのです。
私はそうしたヤクザの方程式のようなものを、だれにも負けないスピードで吸収し、着実に極道としての地歩を固めていました」。
The Godfather Part Ⅱより-Vito Corleoneもトラブルを解決してMafiaのDonとなっていった-
この記述を読み、私は米国映画The Godfather Part Ⅱを思い出しました。監督はFrancis Ford Coppolaです。
Nino Rotaのテーマ音楽は、生きるために殺人を重ねるMafiaの哀しみを思い起こさせるものでした。
この映画ではロバート・デ・ニーロ(Robert De Nilo)が、シチリア島(Sicilia)からの移民で後にMafiaの首領(Don)となった架空の人物、Vito Andolini Corleoneの若い頃を演じていました。
Vito Corleoneは同郷の友人の父が経営しているパン屋で働いていたのですが、その地域を「支配」しているヤクザ者によりパン屋を追い出されてしまいます。
そのヤクザ者はさらにVito Corleoneに金を要求します。腹に据えかねたVito Corleoneは、祭りの日にヤクザ者を殺害します。
その後Vito Corleoneは、彼に代わってその地域でいろいろなトラブルを解決し、Mafiaとなっていきます。
Vito Corleoneは、正業としてオリーブ油の輸入業者などをやっていました。こちらでもかなりの収益を上げていました。
暴力団は別の組織への脱皮、衣替えをはかっている-右翼団体への「衣替え」-
暴力団は、自分の正体を可能な限り隠さねばなりませんから、正業を持とうとするはずです。Vito Corleoneはオリーブ油の輸入業者としての顔ももっていました。
Al Pacino演じる二代目のMichael Corleoneは、ラスベガスに進出していきました。ホテルやカジノの経営を狙ったのです。
溝口氏によれば、暴力団は暴対法や暴力団排除条例の対象から逃れるべく、別の組織への脱皮、衣替えを図っているそうです(同書p42)。
株式会社、政治団体とりわけ右翼団体、宗教法人、半グレ集団などがあるそうです(同書p42)。
右翼団体なら暴力団対策法や暴力団排除条例の対象外でしょうね。
右翼団体に対する政治資金供与という形式なら、飲食店などを経営する中小零細企業から事実上の「ミカジメ料」「ショバ代」を取れるでしょう。
溝口氏によれば、暴力団にはつねに偽装処分があるそうです。
表面上、絶縁、破門、除籍などで組から切り、警察の目から隠して傘下のフロント企業や右翼団体に籍を移すことがあるそうです(同書p27)。
暴力団傘下の右翼団体大幹部と親密交際する「保守派言論人」と「平和憲法を守れ」と叫ぶ左翼の共通点
保守派言論人の中には、暴力団参加の右翼団体の大幹部と親密交際をしている方がいるようです。
宗教者の中にも、そうした方がいるようです。
どういう経緯で、保守派言論人や宗教者(仏教徒も基督教徒もいる)が右翼団体の大幹部と親密交際をするようになったのかは私には全くわかりません。
ひょっとしたら、何らかの弱みを握られて脅迫を受けているのかもしれません。
保守派言論人は、文章を読むことを仕事としている方々です。
暴力団とその傘下の右翼団体が表裏一体の動きをしているという程度のことは、文献を少し調べればすぐにわかるはずです。
朝鮮商工人の中にも、暴力団と密接な関係にある人は少なくありません。朝鮮問題の専門家なら、この程度のことは常識です。
北朝鮮で生産される純度の高い麻薬は、何らかの経路で日本の暴力団に販売され、マージンをつけて暴力団が一般国民に販売することが多いのです。
朝鮮問題の専門家と言われる保守派言論人が、暴力団傘下の右翼団体幹部と親密交際をしている場合、その人の著作や月刊誌掲載の論考には暴力団と北朝鮮の関係については言及しにくくなることでしょう。
暴力団傘下の右翼団体幹部と親密交際をする保守派言論人は、中小零細の飲食店経営者や企業経営者が、必死に稼いだ利益を様々な手口で暴力団に巻き上げられてきた史実に目を背けています。
その姿は、平和憲法を守れと叫ぶ左翼人が、中国と北朝鮮による核軍拡と周辺諸国恫喝の史実から目を背けている姿にそっくりです。
敬虔な基督教徒あるいは仏教徒として知られている方々のそうした姿を見聞すると、私にはその方々が本当に悪魔にとりつかれているような気すらしてしまいます。
遠藤周作「妖女のごとく」(講談社文庫)をふと思い出しました。
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