2013年12月31日火曜日

人生をたった一度でも横切るもの-遠藤周作「私が・棄てた・女」(講談社文庫)より思う-

もし、ミツがぼくに何か教えたとするならば、それは、ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか(同書p254)。



平成25年も終わりですね。

今年は皆様にとって、どんな一年だったでしょうか。拙文にお付き合い下さいまして、有難うございます。

本ブログでは当初、北朝鮮に拉致された日本人の問題を書いていたのですが、左翼批判から中国問題、芸能界そして生意気ながら小説を論じるようになりました。

この一ヶ月ばかりは、故佐藤勝己氏の「統一日報」掲載論考に触発され、再び北朝鮮問題そして暴力団勢力についていろいろ論じました。

ふとしたきっかけから思考内容が変化し、少しだけ違った視野を持って元の地点に戻ったように思います。


神というものが本当にあるならば、神はそうした痕跡を通して、ぼくらに話しかけるのか(同書p255)。



自分の一年をふりかえっていたら、遠藤周作の文章をいくつか思い出しました。

私たちは日々の暮らしの中で様々な人と出会い、様々な交流をし、時期が来ればそれぞれの方向へ散っていきます。

その出会いと交流が、そのときには些細なことと思っていても、ずっと後にふりかえると大きな意味を持っていたのではないか。そう思えるときがあります。

人生劇場の主役は、誰しも自分です。重要な脇役は配偶者、親兄弟、子供、親友でしょうか。

ある友人、知人と僅かな時間しか交流しなくても、その人との出会い、あるいはその人の何気ない言動が自分の人生に大きな影響を及ぼしているかもしれません。

そうであるなら、自分の人生をたった一度でも横切ったその友人や知人は自分の人生の重要な脇役だったのかもしれません。

そのような視点から、自分を見つめ直すと違った自分、自分の異なる面が見えてきませんか。


もし、神というものがあるならば、その神はこうしたつまらぬ、ありきたりの日常の偶然によって彼が存在することを、人間に見せたのかもしれない(同書p26)。



人生には偶然が意外に大きな役割を果たしているようです。

人生をたった一度でも横切るものにより、はからずも私たちの人生行路は大きく変わりうるのでしょう。

偶然とは神がサイコロをふった結果なのかもしれません。しかし、偶然によりとんでもなく悲惨な運命、結末になってしまう人がいます。

それを思うと、私は偶然が神の働きかけであるとはなかなか思えません。

偶然により些細な悪行を始め、徐々にそれを重ねるようになってしまう人もいるようです。神が存在するのなら、悪魔も存在するのかもしれません。

悪魔とは、心中に積もっていく埃のような存在なのかもしれません。埃を常に除去すべく、心を洗うような精神活動が人間には大事なのかもしれません。

ともあれ、平成25年はもう終わりです。

拙文が本ブログを訪れて下さった皆様の人生に、僅かばかりでも良いきっかけ、新たな視点や知識を提供することになれたらと思っています。

来年が皆様にとって良いお年となることを祈願いたします。














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